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第25回 全国地域福祉施設協議会 (2020年度 大阪大会) パネルディスカッション

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 オンラインパネルディスカッション
     ~違いを喜び合える社会をめざして~


コリアNGOセンター事務局長/Minamiこども教室実行委員長 金 光 敏さん
大阪大学大学院 人間科学研究科 准教授 野坂 祐子さん
MY TREEペアレンツ・プログラム実践者 伊藤 悠子さん
NPO法人 FAIRROAD 副理事長 栗本 正則さん
大阪歯科大学 医療保健学部 准教授 濱島 淑恵さん

コーディネーター 望之門保育園 保育士 楠 勇さん
コーディネーター 大国保育園 園長   西野 伸一さん

(司会 楠さん) これより第25回全国地域福祉施設研修会を開催いたします。私はこの会の司会進行を担当させていただきます、大阪市阿倍野区にあります社会福祉法人阿望仔望之門保育園で保育士を担当しています楠です。どうぞよろしくお願いいたします。

左 コーディネーター 楠  勇 さん
右 コーディネーター 西野 伸一さん

 さて、今年度の全国地域福祉施設研修会は、新型コロナウイルス感染拡大によりオンラインでの開催となりました。今回の研修会のタイトル「共生(とも)に生きるとは~新型コロナウィルスのただ中で~」とありますように、この未曾有の事態の中、多くの方々の苦しみが浮き彫りとなっています。誰もが排除されることなくこの社会で喜びや悲しみを分かち合いながら共に生きていける、そのような社会を作っていくためにはどうしたらいいのか。今だからこそできる事を共に考えるために、何としてもこの会を開催したいという強い思いがありました。今までのように顔をあわせてという形はかないませんが、新たな研修の様式として、このような形式を一つの手段として取り入れていけたらなという風にも思っております。もちろん初めての試みということで、様々に不手際や至らない点があるかとは思いますが、どうぞご容赦お願いいたします。今回の研修会は、インターネットのZOOMというアプリを使用して全国の参加者の方々にオンラインで配信しております。パソコンやタブレット・スマートフォンを使用し視聴することが可能です。またお使いのパソコンやスマートフォンによっては画面上で少し違った表示となることもありますのでご了承ください。ZOOMを使って見られない方や、視聴が不安定な方は昨日お送りいたしましたメールに添付してあります当日の緊急連絡先にお問い合わせください。またチャットの方にもYouTubeでの配信のURLも貼り付けておりますので、もしZOOMが不安定な方はそちらでもご活用ください。

 それでは簡単に本日のプログラムを紹介いたします。はじめに本研修会主催であります大阪市地域福祉施設協議会 会長 倉光愼二より開会の挨拶があります。その後、事前のオンデマンド配信による基調講演をいただきました日本地域福祉施設協議会 名誉会長 阿部志郎先生より、横須賀からのライブ配信でのメッセージをいただきます。そしてその後、豪華な5名のパネリストによりますオンラインパネルディスカッションをお送りいたします。楽しみにしておいてください。最後に研修会のまとめとして、日本地域福祉施設協議会 会長 岸川先生よりご発言をいただきまして終了という形になっております。

 それでは早速始めたいと思います。大阪市地域福祉施設協議会 会長 倉光愼二より開会の挨拶です。倉光会長よろしくお願いします。

会長 倉光 愼二 さん

(倉光会長) 皆さんこんにちは。NPO法人大阪市地域福祉施設協議会会長の倉光ございます。どうぞよろしくお願いいたします。リモートで今日ご参加いただいてるたくさんの皆さん、端末数は200を超える方が今回ご参加頂いております。本当にありがとうございます。心よりお礼申し上げます。

 まずは開会に先立ちまして、コロナ禍にあって日々大変なご苦労を頂いております医療関係に従事されてる皆様方にこの場を借りましてお礼を申し上げたいと思います。本当にご苦労様です。ありがとうございます。また、エッセンシャルワークに携わっていただいております皆様も本当に感謝申し上げたいと思います。私共福祉関係も同様ですけれども、共にこのコロナ禍の中を頑張っていきましょう。

 さて、先ほど司会者からもありましたが、今回の第25回全国研修会をはじめてオンラインで開催をしました。昨年の夏過ぎぐらいから大阪で実施するということで、大地協の役員・職員が集まり、実行委員会を立ち上げ、その中でいろんな計画を練ったところでございます。そして今日の研修会に至っております。また開催要項にありますように、「共生(とも)に生きるとは」として、また「新型コロナ感染拡大のただ中で」という副題をもちまして、研修会のテーマといたしております。今回の研修にあたりまして外せなかったのは、阿部先生に基調講演をお願いしようということは実行委員会の中でみんなが申し上げたところでございまして、阿部先生にご無理を本当に承知の上でご快諾をいただいたところでございます。また、この阿部先生のご講演、皆様既にご視聴いただいたところでございますけれども、このご講演を柱に、多岐の分野からパネラーの先生方にお越しいただきまして議論を深めて参るという段取りになっております。ご快諾いただきました阿部先生に対して、この場を借りて厚くお礼申し上げ、またご快諾いただけるようにお骨折りを頂きました日本地域福祉施設協議会会長の岸川先生にも併せてお礼を申し上げたいと思います。

 本日の研修が、どのように展開していくかというのは、本当に心配なところがありますが、実行委員会の西野委員長、それから司会を担当する楠副委員長、総括担当の長瀬副委員長、バックアップ担当の辻野副委員長、この人たちの手腕にかかっております。もしうまいこといけへんかった場合は、その人達に責任を取ってもらってですね、頭ぐらい丸めてもらおうかなという風に思っておるところでございます。

 余談になりますけれども、研修というのは、やっぱり楽しんでこそ初めて自己を高めてくれるもんやというふうに思っております。どうぞ皆様、今日の研修を大いに楽しんでいただきたいと思いますし、それぞれの持ち場でこの研修を糧に「明日から上を向いて、月を見上げて」と申し上げて開会のご挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 拍手じゃないでしょうか。(パチパチパチ)

(司会 楠さん) 倉光会長ありがとうございました。次は日本地域福祉施設協議会 名誉会長 阿部志朗先生のメッセージです。なお阿部先生には本研修会の基調講演をいただいております。事前のオンデマンド配信により既にご視聴されていることかと思いますが、まだ視聴できていない方は3月1日から行う予定のYouTube配信をご覧いただきたいと思います。それでは横須賀の阿部先生よろしくお願いいたします。

名誉会長 阿部 志郎 さん

(阿部名誉会長) 皆さんこんにちは。横須賀から皆さんにお話ができる技術の進歩に年寄りである私は驚くばかり。でも倉光先生を中心として、委員会が細心の注意を払いながらこの研修会を準備されましたご苦労に心からお礼を申し上げたいと思います。

 さて私事ですが、普段毎朝5時半に家を出て、冬はまだ暗いうちです、ゆっくり散歩し、6時半に公園でラジオ体操に参加をします。20数名の仲間と挨拶をし、安否を取り合って、心身ともに張り詰めた思いになるのが常です。ところがコロナの宣言によって、今体操を休んでます。ひと月以上経ちます。そうすると巣ごもりであまり外に出ませんし、人に会えませんし、会話がないですね。交流はないですから、そうした中で自分で気が付いたことがあります。自分の中から笑いが消えました。周りを見渡すと、今ソーシャルディスタンスで人と人がだんだんと遠く離れていきます。会話がありません。それは家の中も同じで、今は黙食って言うのですね、黙々と会話なしに家族が一緒に食べる。そこから虐待、殺傷、自殺という問題が起こってきているのではないでしょうか。すなわち街全体に笑いが消えました。沈んでいます。この笑いを取り戻す、それが私たち地域福祉施設の役目なのではないでしょうか。いったいどうやって笑いを取り戻すのか。笑いというのは、人と人の間で、お互いに話し合い笑い合う、それが笑いでしょう。その笑いを取り戻すのには、何よりも地域福祉施設で働くワーカーが、笑いを自分自身で取り戻さなければならないです。笑いというのは与えられるものではありません。自分で笑いを楽しむのです。自分の中にあるユーモア、喜び、能力、すべてを笑いのために開いていかなければなりません。その笑いを自分自身で取り戻すのには待っていては駄目です。自分から笑いを与えるということは大切でしょう。

 スウェーデンで一人暮らしの老人を訪ねたことがあります。半年近く雪と氷に閉ざされて一人で住んでいらっしゃるおじさんでした。おじいさんです。そのおじいさんに、「寂しくありませんか?」と聞きましたら「あー、寂しいね」「寂しい時、どうなさるんですか?」と聞きますと、テーブルの上のろうそくの光を指しました。「あの光を見てるんだよ。ろうそくはね、身を焼いて光を出すだろ。だからその光が私の心を温めてくれる。」実に印象的な言葉で、自然だと思います。自分の身を焼いて光を出す。これが地域福祉施設で働くワーカーの役割です。すなわち、待つのではなく与えるのです。自分の力を、才能を、喜びを、悲しみを、人と分かち合う、自分から進んで分かち合う。そのことによってお互いの笑いを取り戻すことができるのだと思います。

 今はコロナで大変辛い時です。お茶をいただくのに、茶道に入るのに、躙り口があります。高さ68cm・幅59cmの小さな入り口です。そこを身をよじるように、身をにじって中に入ります。武士はその時に刀を捨てなければなりません。肩書・身分、それを捨てて、一人の人間として、にじりながら入るんです。そして入りますと、そこに一期一会の出会いが起こります。今、私たちは躙り口にいるようなものです。つらいです。苦しいです。でも身をにじって、その先に希望の光を掲げる。これが地域福祉施設が為さねばならない課題だと思います。身を捨てる、すなわち自分からすべてを与えて、地域の人とつながりをつくり、そしてともに笑いあう。そのことによってコミュニティーは形成されるのだと思います。

 地域福祉施設で働く皆さん、どうか今は辛い時です。でもそれに耐えて、ろうそくの灯のように、街に希望の光を掲げようはありませんか。

(司会 楠さん) 阿部先生ありがとうございました。YouTubeでの基調講演も含めていつも阿部先生の言葉には勇気をいただきます。まさに今のお話にあったように、ろうそくの光のように、いつも毎年阿部先生のお話や表情を見て、私も光を感じています。同様に感じる方も多いと思います。阿部先生、本当にありがとうございました。

 それではオンライン・パネルディスカッションに移っていきたいと思います。パネルディスカッションのテーマは「共生(とも)に生きるとは~違いを喜びあえる社会を目指して~」です。今回のパネルディスカッションは社会福祉法人育徳園保育所の幸分ホールに5名のパネリストの方々に集まっていただいております。ここから全国のご視聴いただいている方々にオンラインでお届けいたします。ディスカッション後半には、オンラインならではの視聴されている方々からの質疑応答の時間を予定しております。ぜひ聞いてみたい事がある方はZOOMの画面下部にあります「チャット」を押していただきまして、質問を打ち込んでください。なお質問を打ち込む際は、所属施設とお名前を一緒に入れていただけるようにお願いします。

 まずはじめに、豪華なパネリストの方々をご紹介したいと思います。最初にコリアNGOセンター事務局長で、Minamiこども教室実行委員長の金敏光さんです。金さんは多文化共生や人権学習のコーディネーターを務め、大阪市中央区の繁華街においてMinamiこども教室を通して、外国ルーツの子ども達やその親の支援に日夜尽力されております。金さんよろしくお願いします。

 次に大阪大学大学院 人間科学研究科 准教授 野坂祐子さんです。野坂祐子さんは児童福祉領域や学校現場において、性被害や性問題行動などへの介入実践や研究に携われており、トラウマインフォームドケアについても実践家としてご尽力されております。野坂さんよろしくお願いします。

 次にマイツリー・ペアレンツプログラム実践者であります、伊藤裕子さんです。伊藤さんは虐待からの回復支援・マイツリーを西成を拠点に開始され、大阪市・大阪府の児童相談所からの委託を受け、家族再統合支援事業を現在に至るまで実施しております。伊藤さんよろしくお願いします。

 そして次はNPO法人FAIRROAD 副理事長の栗本正則さんです。栗本さんは、タイのスラムやミャンマーとの国境付近での難民キャンプ、移民学校の子どもたちへの支援、また大阪の高校・中学・小学校内における居場所の支援活動をされております。栗本さんよろしくお願いします。

 最後に、大阪歯科大学 医療保健学部 准教授 濱島淑恵さんです。濱島さんは、近年ヤングケアラーに着目し、高校生や要対協を対象とした調査研究や全国での調査などに取り組み、ヤングケアラーの当事者の会「ふうせんの会」を立ち上げるなどご尽力されております。濱島さん、よろしくお願いします。

 それではここから各パネリストの方々から約10分程度のご発題をいただきたいと思います。パネリストの方々にも事前に阿部先生の基調講演をご覧頂いておりますので、その基調講演をもとに、ご自身の活動や研究の立場からの発題として、まずは10分間語っていただきたいと思います。それでは金さんの発題です。発題のテーマは、「すべての子どもが安心して生きることーMinamiこども教室」です。金さんよろしくお願いします。

パネリスト 金光敏 さん

(金光敏さん) こんにちは。紹介に預かりましたコリアNGOセンター事務局長の金光敏と言います。Minamiこども教室以外にも、在日コリアンの人権問題に携わっておりますし、特に教育の問題を専門にしてきました。加えて滋賀県に通っていまして、滋賀県にあるブラジル学校の環境を支援する取り組みにもかかわって10年以上経ちます。在日コリアンの当事者で、自らも被差別の経験をしていますけれども、まあ在日外国人の中では比較的日本での定着が進み、ある種、経済的にも文化的にも自立をできている在日コリアンの立場から、他の外国の子どもたちの支援にこだわってやってきました。今日は、そんな経験の中から、問題提起をさせてもらいながら議論を深めていきたいと思っています。

 コロナになってから在留外国人の数は鈍化をしましたけれども、コロナが終焉をして、ワクチンの接種が始まりました。落ち着きますとまた在留外国人の数は増えていくと予測されます。現在直近の数で言いましたら、293万人の在留外国人がいますが、あっという間に300万人になって、直近の年度の伸び率で言いましたら、2019年・18年の間に20万人の増がありましたので、この比率で言いましたら、次の統計の時は300万人を超えて、またその次の時には320万人を超えると思います。

 全体的に少子高齢社会の中で労働人口が減っておりますので、そこを海外から人々を受け入れ補おうとするのが現在の日本政府の政策です。海外から来る方に対して「外国人労働者」と単語を用いて、外国人の生活を想定をせず、日本に必要な労働力だけ提供してくれる存在として矮小化して語られますが、来られる方々は労働者というふうな側面だけではなくて生活者なんですね。それで、安定した処遇で働こうと思えば、当然家族との結合であったり、家族の呼び寄せであったり、家族の生活自立であったことがセットで語られなければなりません。ところが、外国人については労働力を提供するということに矮小化しています。そこに今、伴って一緒に暮らしている外国人や他の家族、また、その家庭のことがあまり顧みられることが無いので、子どもたちへの教育や保育が放置されています。今、ちょうど受験のシーズンですけれども、例えば高校進学率全体で言いましたら、日本全体では98%です。ほとんどが高校進学しているわけですね。そういう実態も踏まえて、10年ほど前から高校の無償化が始まりました。しかし外国からやってきた子どもたちの高校進学率は約6割なんですね。98%と60%ですから30数パーセントの格差が生まれていて、高校にも進学できずに、日本の社会の中で、限られた選択の下で、進路を決めざるを得ない子どもたちがいます。こうした問題を考えても、外国人の子ども達が放置されている現実であったり、あるいは社会がいつまでも外国人を周縁化したり、支援の必要な存在というふうな枠組みに押し込めてしまい、その当事者の希望であったり、生活の意向を度外視してしまう。軽視してしまうということについて、普段から注目をして問題提起をしてきました。そんな最中に起こったのがコロナでありました。

 コロナが発生してから、日本政府は外国人に対して一切の支援を行っていないということではありません。コロナを理由とする経済対策は、日本に住居地・住所地を持っている人に平等に実施されているわけです。制度そのものにおいて、外国人を差別するという構造は今のところは限定的です。しかし、実際にそれらの支援策を外国人当事者が利用としようと思えば、日本語の発信であり、日本語の説明であり、日本語でのアクセス、つまりあの申請をしなければならないんですね。実態としては、外国人がそうした経済対策や救済策、生活困窮に関わる支援策を活用して自立をしようと思えばかなり大きなハードルを越えていかなければならないという実態があります。そうした中、日本の社会で外国人が生活困窮に陥りやすい社会の主流的枠組みの中から、こぼれやすい現状というのが残っています。

 私自身は、今のコロナの状況というのは、緊急事態であるし、ある種の災害であるという風に思っています。やってみて感じたのは、緊急事態になってから手を差し伸べても、全然追いつかないということですね。つまり、日常の中から多文化共生ということが、社会を組み立てていくときの一つの柱にならなければ、外国人の支援というのはいつも後回しにされます。日本人も今のコロナで大変だから外国人までなかなか手が回らないとよく言われるんです。それはその通りかもわかりませんが、私たちは健常者でも大変だから障がい者までなかなか手が回らないというような語りはほとんどしたことがないし、若者にも大変なのに高齢者まで手が回らないよということを言われた経験もないわけですね。しかし、日本人と外国人との関係の中においては、いとも簡単に階層的発想が前面に立ち、少々外国人が後ろ回しにされてもそれは仕方がないんだという風なことで説得させられてしまうそんな社会。ここに手を突っ込んで変えていくことは大事だろう思います。もはや海外からの移民者を受け入れることなくしては、日本社会が成り立たないという実態からしても、社会の中の組み立ての柱に、基礎に、多文化共生ということを位置づけていきたい。子どものケアであったり、福祉、労働、住宅、医療、あらゆる分野で、人材育成を図り、枠組みを作り、この分野に関わる従事者の知識やスキルを高めていくことが求められているんだと思います。

 今日は福祉施設の関係者の皆さんの会なので、この分野の福祉施設での問題提起ができればと思います。全国のネットワークの会ですので、ケース対応で一生懸命するのは分かるんですが、ケース対応だけではなくて、フレームワークにどのように変えていくのかという議論をきちんとしないといけないと思っています。9分喋りました。ちょっと早めに終わります。

(司会 楠さん) 金さんありがとうございました。ケースワークだけではなくて、フレームワークということで大事な提言だったと思います。

 それでは野坂さんの発題に移りたいと思います。発題のテーマは、「トラウマインフォームドケア~トラウマのメガネで理解する~」です。野坂さんよろしくお願いします。

パネリスト 野坂 裕子 さん

(野坂祐子さん) 皆さん、こんにちは。大阪大学の野坂祐子といいます。小学校から高校まで横須賀にいたので、今日は横須賀と繋がっているということで嬉しく思っています。

 私は心理士(師)として仕事をしている立場から、阿部先生のお話をうかがいました。私がグッときたポイント、つまり、とても共感したところは、先生が「どこにニードがあって、どんな風に解決するのか」を考える際に、「どういう社会を私たちが作るのか、そしてどんなビジョンを持ってコミュニティを変えていかないといけないのか」とおっしゃったことです。誰かを変えようとするのではなく、社会を変えるという視点です。まず、その視点に非常に共感しました。

 では、そのコミュニティをどうやって変えていくのか。言い換えれば、どのようにコミュニティを回復させていくのか。そのためには、私たちはまず、”私たちのコミュニティは傷ついている”ということを認めなければいけない。そこからスタートする必要があると感じています。

いろいろな現場でさまざまな人々に関わってる私たちは、この社会にはいくらでも傷つきがある、傷ついた人がたくさんいるということを知っています。ですが、その傷つきや痛みが社会全体で共有されているでしょうか。私はそうは思いません。大きな傷つきが社会の中にある時、私たちは気づいてはいるんだけれどもそれに触れない、ということが起こります。英語の表現で”Elephant In The Room”と言って、「部屋の中の象」って言い回しがあります。部屋に「象」がいたら皆びっくりするし、おっかないんだけれども、おっかなければおっかないほどみんなが見て見ぬふりをする。存在する問題が大きければ大きいほど、人はそれに気づかないふりをするという意味です。みんなが窮屈だし怖いとは感じているのです。この「象」はどんなものがあてはまるでしょう?私たちの社会にある大きくて怖い問題、その一つが「トラウマ」です。トラウマになりうる暴力、人が傷つけられること、安全ではないこと、こういう大きな問題が私たちの社会の中にドンとあるのではないでしょうか。子どもへの虐待、ネグレクト、あるいは、お父さんお母さんは一生懸命子どもを育てているのだけれでも、さまざまな理由でうまくいかないということはいくらでもあります。こうした「象」が、家庭や地域の中にいるのに、私たちはトラウマが大きければ大きいほど、そこに目を向けようとしなくなります。

 トラウマって聞くと、とても衝撃的な大きな事件といった出来事を思い浮かべるかもしれません。

でも、実は、身近にたくさん起きていることなのです。しばしばトラウマは氷山のようなものだと例えられます。まさに「氷山の一角」しか見えていないのであり、全貌はなかなか見えません。表沙汰にならない虐待や暴力はたくさんあります。虐待の相談対応件数は増える一方ですが、それでもおそらく実際に起きている虐待のほんのわずかなものしか認識されていないでしょう。私たちが支援のな中で聞く話も、その人の人生のほんのわずかな部分をちょっと聞かせてもらったに過ぎないわけです。本当に言いにくいこと、言葉にならない苦痛な体験は語られません。それでも、ようやく現実の一部が語られ始め、見えてきたところですが、社会はそれを信じようとしない。「子どもの話は嘘かも」「被害と言うけれど冤罪じゃないのか」「加害者はそんな人に見えない」などといった形で、まわりの人が本人の言い分をなかったことにするのは珍しいことではありません。これは「否認」といって、トラウマの現実を目の当たりにして「こわいなあ」「いやだなあ」と思うと、それをシャットアウトする心理が働くわけです。現実に起きていることを認識するのは、容易ではありません。

また、たとえ「氷山の一角」であれ、外から見えている姿が「困っています、助けてください」というわかりやすいSOSを出しているものならば、トラウマの影響で傷ついている人に気づきやすいかもしれません。ですが、たいていの人は大丈夫なふりをして頑張っています。大変な時こそ周囲に心配をかけないように頑張ったり、自分で何とかしようと無理をしてしまうものです。あるいは、傷つけられたことの”問題行動“に見える言語として現れることがあります。そうなると、周囲はその「悪い行動」を止めようとします。その子が暴れていれば「暴れてはいけません」と言うし、問題行動があれば「止めなさい」とか「そんなことしてはダメでしょう」なんて言ってしまう。でも、怒るだけでは意味がないばかりか、「わかってもらえない」と感じた子どもはもっと不穏になっていきます。一体、その子に何が起きてるかわからなければ、どう関わってよいかわかりません。

 「トラウマインフォームドケア」というのは、氷山の水面下、つまり見えない部分で何が起きているのかを見ようとする関わり方です。トラウマを治療するものではありません。「インフォームド(informed)」というのは「”知識を持つ」とか「前提にする」という英語です。いわば「トラウマのめがね」のようなもので、トラウマの影響を知ったうえで、目の前で起きていることを「何が起きているんだろう」「この子は何が言いたいんだろう」とじっくり見ていく姿勢をいいます。暴れてる子に「コラ!」って怒鳴っても、脅しにしかなりません。「人に優しくしなさい」と説教するよりも、私たちがこの子に優しく接するっていう事の方が大事なはずです。暴れる子は“乱暴者”じゃなくて、“乱暴をされてきた子”なのではないかと考える視点が求められます。あるいは大人でもそうですが、上手く助けを求められない人たちは、そもそも自分の気持ちをうまく感じられなかったり、他者が信用できなかったりするかのしれません。これまでの人生で自分の話を聞いてもらえなかった人は、いくら社会に相談資源がたくさんあったとしても、そこに手を伸ばすことが怖いと感じるでしょう。

「トラウマめがね」で何が起きているのかを見ないと、私たちは相手を責めたり、あきれたり、罰や制限を与えようとしたりしてしまう。「痛い目を見たらやめるだろう」なんいて言って。いくら熱心にやっても、たとえ悪気がなくても、こうした支援者の態度は相手に「再トラウマ」を与えてしまいます。悪意から再トラウマを与えようとする支援者なんて、そういないでしょう。「あなたのために」と一生懸命怒るわけです。こういったトラウマの話、危険な内容や性の問題など

が絡んでいると、支援者も怖くなってしまい、だから、ついつい説教がましいことを口にしてしまうのです。「身体を大事にしなさい」とか「危ないからやめなさい」なんて言いたくなるのです。そして、「どうなっても知らないよ」なんて脅したりすることも。

こんなふうに必死になって、相手の行動を変えようとしてしまうのはなぜか。それは、私たち自身が傷ついているのからです。不安になったり、無力感を抱いたりすると、相手をコントロールしたくなる。そうではなく、何らかの行動をとっている子ども本人が、「自分に何が起きているのか」を理解できるよう支援していく必要があります。自分自身が傷ついているのに気づいていないことも少なくありません。苦痛を感じないようにしながら、今まで必死に生き延びてきたのですから。だからこそ、子どもと一緒に、「トラウマのめがね」で「何が起きているのか」「どんな状態なのか」を考えていくようなケアができるといいと思っています。

 このように、トラウマインフォームドケアとは、相手の話をよく聴いて、一緒によく考えるという当たり前の関わり方です。でも、トラウマに触れてしまいそうで怖いと感じるのも無理はありません。

だからこそ、みんなで「トラウマのめがね」をかける必要があるのです。チームで取り組むことが何より大切です。一人で抱えてしますと、私たちはトラウマにむざむざとやられてしまいます。簡単に太刀打ちできるようなものではないのです。私たちがチームになり、希望を持ちながら取り組んでいかなければならない。相手と自分を信じてやっていくことが非常に重要なのです。

 最後に、チームで取り組んでいくということについて。私の好きな、というか阿部先生のお話を聞いて浮かんだ諺なんですけれども、アフリカにこんな諺があるそうです。「早く行きたいのなら一人で行きなさい、遠くまで行きたいのならみんなで行こう」、本当にそうですね。効率よくこなすだけなら一人でやった方がすっと早いものです。ですが、私たちが向かおうとしている安全なコミュニティ、傷つきから回復するコミュニティまでの道のりは遠い。決して一人では向かえないし、皆で目指して進んでいかなければなりません。”together(皆で)”ってありますが、ただ人が集まっているだけではチームにはなれません。人がいるだけではただの群れです。集団があっても、そこでまた傷つけ合うなら回復なんてできません。いかに良い集団を作って、良いチームで取り組んでいくか。そのためには、まず私たち自身が安全であること、私たち自身が自分は傷ついてるとを認めること、そして、その傷を抱えていることや手当することを恥だと思わないことが大切です。私たちの安全から始めていければ、今日のテーマである「共生(とも)に」に、少しでも近づいていけるかなと考えました。私からは以上です。どうもありがとうございます。

(司会 楠さん) はい、野坂さんありがとうございました。「トラウマインフォームドケア」言葉では、すごく難しそうに感じてしまいますが、氷山の一角、あの現れている問題行動の裏に何があるのか、背景が何があるのかを見ていくってことが、非常に大事だということを、正そうとするのではなくわかろうとするというところ、すごいいい言葉だなという風に思いました。野坂さんありがとうございます。

 それでは伊藤さんの発題に移りたい思います。発題のテーマは、「マイツリーペアレンツプログラム臨床倫理メディエーター」です。伊藤悠子さんお願いします。

パネリスト 伊藤 悠子 さん

(伊藤悠子さん) こんにちは、よろしくお願いします。大阪の西成から参りました。野坂先生に引き続きまして、横須賀にご縁があるということで、私の祖父母のお墓が横須賀の山の上にありまして、小学校の時には横須賀線でおやつをもらいながらお墓参りに行くのが楽しみでした。どうぞよろしくお願い致します。

 私は、バックグラウンドは医療・看護ですが、どういう導きか、常に保健医療に留まらず、教育・福祉と専門領域も越境して社会運動に携わってきました。西野伸一さんが「支援のなぎさ化」とおっしゃるようなことと共通でしょうか。社会の有り様と無縁でない人の健康問題に携わる時、自然と分野の枠を越えていく発想が生まれます。

 それは私が二十歳になる年ですけれども、看護学校に入学と同時に就職をしました。今は無き大阪府・市同和地区医療センター芦原病院。この病院がスタートだったことに、多大な影響を受けています。大阪府・大阪市が共同で医療センターを作っていました。大阪の公衆衛生の前線であった芦原病院は出かけていく病院でした。当事者の生きられる現場が臨床です。アウトリーチをベースに、より権利を侵害されている人々、子どもたちが生きられる環境を作る、そんな理念を持っていた病院です。時代のニーズを掬い取って実践を始めたならば、形を作って終わりではなく、もっと良いものにできないかと当事者の目線ではかる。その中で、双方が一緒に育てられるスタイルが、私の中で生きています。

 今日は阿部志郎先生のお話を引き継ぎまして、先生がおっしゃった、民が官をリードする、オール大阪で発展してきたある取り組みについてご紹介したいと思います。野坂祐子さんのトラウマインフォームドケアに関連する流れ、また、濱島淑恵さんの話に繋がるかと思いましたので、ここでは10代の妊婦さんと親子が集まる月一回の居場所「ころころクラブ」を中心に取り上げたいと思います。大阪市が芦原病院を民間企業に委譲する際に、ころころクラブは大阪市子育て支援センターに引き継いでいただきました。現在は10代に特化せず、子育て支援の枠組みに吸収されていますが、この取り組みを振り返って学びを分かち合えたらと思います。

 もう一つは、今も実践を続けています子どもの虐待からの回復支援「マイツリーペアレンツプログラム」。2003年西成において、民間発で始まった取り組みです。その効果から現在では大阪府・大阪市の児童相談所と民間が三者で組んだ共同事業に発展しています。そちらは時間の都合上、後の進行で相応しい場面がありましたら触れたいと思います。この二つの事業は阿部志郎先生がご紹介された小河滋次郎さんが当事者自身の力の回復を信じて、困窮者の処遇改善に尽くされたこととも重なるでしょうか。当時の言葉では救済となりますが、その意味内容はセツルメントの真骨頂、一方的に助けることではなくエンパワメントではないかと感じました。

 それではコロコロクラブについてご紹介したいと思います。1990年代終盤、出産志向の10代の妊娠が急増した時代に遡ります。かつては、10代で妊娠した方の7割が人工妊娠中絶を余儀なくされていました。分娩の場合も法で定められた21週と6日を過ぎてしまって、産まざるを得ないケースが多く見られていました。その後妊娠検査薬がドラッグストアで簡単に手に入るようになると、妊娠週数が進んで分娩するしかないケースが減っていきます。芦原病院の場合、そのぶん中絶が増えたわけでもなく、1995年に10代の妊娠の転機があり、出産・中絶と半々になりました。高齢出産と少子化が加速化する中で、10代だけが出産希望の割合を伸ばしてきました。高齢出産と少子化が加速化する中で10代だけが伸びていき、1997年には、出産7割、中絶3割と逆転します。しかも周りに言い出せなかったり自分でも気づかないまま産まざるを得ない週数になっていたというものではなく、妊娠の4週とか5週で、まだエコーに胎児心拍が映らない時期に病院にやってきました。彼女たちははっきりと意思を持って産みたいと言いました。当時、「伊藤さん達は10代の出産を奨励しているのですか?」と懐疑的な声も聞きました。それに対して「私たちは医療職ですので、産みたいと言ってくる人達には、気後れすることなく検診に来てもらえるように環境を作って、安全にお産をしていただくことが役割です。」と答えていました。

 昔の子守歌で十五で姉やは嫁に行きのとおり10代のお産は軽いですし、母乳もよく出ます。ただ親の助けが得られないことも多かったんです。そこで10代は出産後だけでなく、妊娠中から家庭訪問をして、本人の気持ちが揺れる時でも、隣で見守ろうとしました。時代の閉塞感の中で、出産志向の10代の登場は、今はまだ芦原病院で起こっている現象だけれども、きっと全国に広がっていくだろうと感じていました。それは数年遅れて、全国共通な傾向となっていきました。分析でわかったことは、出産志向の10代たちの背景は、子ども時代に早い自立を余儀なくされたヤングケアラーが多いのが特徴でした。新しい命と共に生きる希望を見出して、子育ての大変さをむしろ喜びとしている。そんな人達は他人の些細な心遣いや、心のふれあいに敏感でした。商店街の店の人と仲良しになって、野菜を分けてもらったり、夫も若いですから少ない収入で上手にやりくりする様子など、こちらが教わることが多かったです。

 しかし、病院の見守りには限界があります。産後の検診や芦原病院独自の産後訪問を終えて、保健所からの新生児母子訪問も終わると、次はほとんど4ヶ月目の3ヶ月検診まで空白になってしまいます。出産直後は、幸せホルモンの分泌下でストレスを自覚しなかった人も、3ヶ月4ヶ月までの間に一旦落ち込むことが分かりました。そこで、10代の妊婦さんから親子まで、誰でもいつでも参加できるピュアな居場所が必要だと考えました。地元の二つの保健所と一緒に病院で毎月合同会議をしており、その場で提案をしたところ、保健所も実態を確認してくださいました。やはり10代の妊娠が急増しているということで、把握をされてまして、仮称「ヤングママプレママプラザ」の実施にこぎつけたのが2001年1月です。こちらです。(パワーポイント)地元の青少年会館の畳の部屋に最大40人の親子が密になって遊んでいます。しゃべりが上手ではない10代の参加者の中に、他者の経験や声を受け止めるそうした感性がそこに見られました。息を潜めていないとスルーしてしまうような密やかな瞬間です。コンセプトは今大会に掲げられた「共生(ともに)に生きる」。ある10代の母は、「あなたにとって子どもはどんな存在ですか?」と尋ねられて、「私にとってと言うよりも、この子と共に互いが生かされている」と言いました。ヤングケアラーのレジリアンス支援される人、与える人という一方方向ではなくて、その場の必要に応じて、役割が入れ替わっていきます。ヤングケアラーのレジリアンスに学ぶこの場で、10代で母となった人から今から産む10代たちに贈るエールが、冊子「産みたいあなたへ」という形で結実しました。

 2001年にコロコロクラブ発足の前年度「わが町西成子育てネット」という官民77団体が集まる団体が旗揚げしていましたので、助成金を申請して、展開した事業の一つとして作り上げることができました。大阪市24区で交付していただく母子手帳を10代に交付する時に手渡していただくような交渉も整いまして、大阪のたいへん人間臭かった時代です。今、この時の赤ちゃんたちが二十歳になりました。コロコロクラブが困った問題への対応にとどまらない可能性を信じたそれを知るこの人たちによって、たえず柔軟に形を変えながら次に引き継がれていくんだとありがたく思っています。氷が溶けたら春になるという時の流れの中でその時の変化の中に見る支援もあるのだなと思っています。

(司会 楠さん) 伊藤悠子さんありがとうございました阿部先生のお話や、他のパネリストの方々とのつながりというところも考えていただいてありがとうございます。ころころクラブでの実践も今の社会の支援にどこかつながる部分が、ヒントになる部分が、あるのではないかなと思いました。ありがとうございました。

 それでは、栗本さんの発題に移りたいと思います。発題のテーマは、「地活協磯路地区市岡中学校の子どもの居場所カフェ」です。よろしくお願いいたします。

パネリスト 栗本 正則 さん

(栗本正則さん) こんにちは。NPO法人 FAIRROAD 副理事長の栗本です。よろしくお願いします。自分達は海外事業と国内事業ということで、二本立てで活動している団体ですが、今回は国内の居場所事業ということでお話をさせていただきます。

 事業全体的に見ると、学校なり、地域なり、行政とこういった形で仕事をしている状況であります。学校内の小中高等、それから卒業後というところに関わっています。学校内では中学校と高校の中で居場所を、また小学生の児童の対象としては、地域の中の居場所ということで今やっています。卒業後の若者支援ということで、特にコロナ禍で大変な状況の若者がたくさんいますので、そういった方にも日々連絡を取りながら支援をおこなっている、寄り添っているという状況で仕事をしています。

 これも皆さんもご存知の通り、今、学校内に来ている生徒さんには、多様な生徒さんがおられます。社会的や医療的ニーズが拡大している中で、ひとり親家庭なり虐待や要保護の生徒さん、そして子育てが困難な家庭もありますし、それから発達の凸凹も含めてそういった状況の子どもさんもおられます。それから、自分たちが主に関わっています地域で、不登校の生徒さんも多いということもあります。先ほどからもお話にあったとおり、外国にルーツのある生徒さんも多くいてますので、そういうのは生徒さんとの関係もこの間増えてきていますし、それを地域と、そして次は中学校から高校にどうつなぐかというところも最近出てきた役割かと思っています。一番下にありますようにLGBTということで、特に成長期の子どもさんについては、その性の間ですごくゆれている、性的なスペクトルの中で日々変化している生徒さんも多いので、男とはとか、女とはとか、という観点ではなく、その間に揺れ動く生徒さんについても、こうどう受け止めていくのか、どう寄り添っていくのかが課題かと思っています。自分たちの居場所の主に考えてることが、多様性をまず受容して、そこで寄り添いながら、色んな日常的な話の中で、強みを発見して、それをどう実施する力につなげていくかというところが、自分たちの居場所の役割かな、ミッションかな、という風には思っています。居場所の中では、当然出入りは自由で、行く理由がないと、学校施設の中では図書館であったり、保健室であってもやはりなぜ行くかっていう理由が当然要ります。保健室についても、しんどいから行く、それ以上しんどかったらもう家帰らないとだめ、病院行かないとだめという状況になっていきますし、回復すれば教室、元教室に戻る、ということになります。そういったところで、唯一行く場、お昼休み・放課後、空いてる時間に理由なく行ける場所ということでやりつづけています。またそこでは評価や管理がないということで、色んな排除することがないということで今やっています。そこで出会う信頼できる大人との関係性の中で、それが今後の社会関係資本に繋がっていくとか、そこで行われている日常という取り組みの中で、文化資本の獲得につながると考えています。

 これが地域の中の小学生の子どもさん達が来てもらっている、港区の磯路地域活動協議会との連携した居場所、”イソジーランド”と言ってるんですけど、そこの様子です。(パワーポイント)それと磯路地域の中にある中学校、市岡中学校の図書館の中で行っています波止場カルチャーという居場所です。ここでは中学校の中の居場所については、図書館に特にこだわっていて、そういった日常的に図書に関わりのない生徒さんも遊びに来たついでに本に手をかけるとか、なんか理由があって本を見るという場面にも出会えますので、そういうところについてもやはり図書館でこういう居場所をしたいと思っています。

 その全体像がこういった形になってます。(パワーポイント)中学・区役所・地域との関係性、ピンクになっているのが事業名でお金が発生している状況になっていますので、そういったところを使いながら地域・学校・行政というところでも関係性の中で居場所を運営しているということになっています。これが中学校居場所の予算の関係なんですが、元々連合の愛のカンパ資金を使いながら、その翌年には元気アップ事業、これは厚労省のひも付きの予算で、各小中学校に落ちている予算ですけど、そういった既存の事業を活用ということで財源を生み出して、事業運営をしているということであります。

 今年度ももう終わりですが、大体600人以上の生徒さん、のべ600人の生徒さんが利用するというところになっています。これが元気アップ事業です。こういった予算を使いながらやっている。これで予算の人件費にあたるコーディネーターの謝礼ということで、一億ぐらいついてるんですけども、一校あたり80万円程度という事業となっています。これが港区のモデル事業として、不登校アウトリーチ事業というのが始まりました。それは学校・行政と連携しながら不登校の生徒さんを支援していく、寄り添っていくという事業なんですけど、こういった事業も組み合わせながら、今おこなっているというところであります。自分たちはやはりこの図にも書いていますように、ただただ学校内に入って授業するということでもなく、やはり立ち位置としては学校・行政・地域の真ん中に位置しながら学校内の事業を行っています。当然、学校は教育領域であり、公的な領域ですけど、その中に理由のいらない評価がない空間、図書館の中で、公的な領域の中に私的な領域、本当に本来の家庭の日常文化を体験できる場所であります。そこでは教育的領域の中の行政としての社会的領域、社会的領域の中に、こういった子どもさんをケアする状況の中で、行政につなげていく立ち位置で自分たちが機能していくと考えてます。やはり学校内で「共に生きる」「共に学ぶ」と言っても、「でもそんな言わんとってよ、いらんことせんとってよ」ということになるので、地域の中で、真ん中で、叫ぶ言葉によって、いい塩梅に声が届く。日常的に叫び続けると、ええ塩梅にやっぱり届いて行くんちゃうかなと思っています。学校・行政・地域の中で、そういった取り組みを今後も続けていきたいと思っています。ありがとうございます。

(司会 楠さん) 栗本さんありがとうございました。小学校・中学校・高校、制度的にはすごく狭い支援であったりで、制度の狭間と言われるところなのかなとも思います。いろんな支援であり事業を組み合わせながら、事業を活用しながら、継続して運営していく、非常に大事なことだと思います。地域の中での活動を大事にしておられ、やはり地域の中で色々な方がいらっしゃる、その中で、声をあげていくというその仕組みを作って行くというところは非常に大事な視点だなと思いました。ありがとうございました。

 それでは最後に濱島さんの発言に移りたいと思います。発題のテーマは、「ヤングケアラーの実態と必要な支援」です。濱島さん、よろしくお願いします。

パネリスト 濱島 淑恵 さん

(濱島淑恵さん) 大阪歯科大学の濱島淑恵と申します。よろしくお願いいたします。私の方からは、ヤングケアラーの実態と必要な支援ということです。最近ヤングケアラーについて皆さんに知っていただきたいということで、いろんなところでお話をさせて頂いております。非常に基礎的な話が中心になるかなと思いますので、ディスカッションで皆さんに揉んでいただけたらと思っています。

 で、早速なんですけれども、まずヤングケアラーとはというところからお話をさせてください。直訳しますと、ケアを担う、子どもたち・若者たちということになります。具体的に申し上げますと、例えば介護が必要なおばあちゃんがいます、またはおじいちゃんも認知症が出てきて、常に見守りや話し相手が必要であるようなケースもあります。また、お母さんに精神疾患・精神障害があり、また、お父さんが少しアルコール依存であるとか、そういった中で身の回りのことができなくなった親御さんをなだめ、感情的な受け皿にならなければいけないというようなケースもあります。またなんらかの慢性的な病気を親御さんが抱えていて、ケアが必要だとか、また障がいを有するきょうだいがいてそのお世話を手伝っています。さらには、外国にルーツのある子どもたちの話、そういった中で親御さんが日本語が苦手であると、そこで通訳のために学校を休んで役所についていくというケースも見られます。このような形で様々な理由の中で、ケアやサポートが必要な家族がいて、そのために子ども達が家事をしたり、また年下のきょうだいの世話をしたり、介護・見守りをしたり、感情的なサポートをします。日本語通訳の話を先ほどしましたが、聴覚障害のあるご家族の場合ですと、手話通訳をするというケースもあります。それに加えアルバイトをして家計を助けるといったケアもあります。このような形でケアと言いましても身体的介護というのが日本の場合非常にすぐに思い浮かびます。そうではなくて非常に広い範囲を意味してるというふうにお考え頂きたいと思います。

 このような子ども・若者たちをヤングケアラーというわけなんですけれども、正式な定義というふうに申し上げますと、日本にはまだ正式な定義というのはありません。よく引き合いに出されてくるのが日本ケアラー連盟の定義になるのですが、「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケアの責任を引き受け、家事や家族の世話・介護・感情面のサポートなどを行っている18歳未満の子ども」としています。この18歳未満というところはイギリス方式でして、18歳以上はイギリスではヤングアダルトケアラーと呼んでいます。また国によっても違うのですが、オーストラリアでは25歳まではヤングケアラーということで、日本の場合はどこで年齢の線を引くか引かないのかというのは、これからの議論になるかと思います。とりあえず今日のところは、ケアを担う子ども・若者たちというイメージでお話をさせていただきたいと思います。

 まずヤングケアラーの実態ということで、私が2016年に行なった大阪での調査をお示ししたいと思います。5,000人の高校生に対する質問調査をしまして、272名がヤングケアラー、何らかの形で家族のケアをしてるというふうに回答されていました。その結果ですが、どういったケースが多く見られたかということなんですが、まずは要介護状態のおじいちゃんおばあちゃんがいるというケースが非常に多く見られています。さらにそのお母さんのケアをしているというパターンです。精神疾患・精神障害があるといったケースが多く見られました。それ以外にも親御さんが何らかの病気であるとか、後は障がいを有するきょうだいがいるというケアをしている高校生が多く見られました。ただ、この調査は非常に反省点が多く、おそらく、外国にルーツのある子どもたちがしっかりとキャッチできていないと非常に大きな反省点としてありました。今後さらに、改良しながら把握をしていかなければいけないと思います。

 子ども達がしているケアの内容ですが、非常に多かったのが家事です。他の調査でも必ず1位に上がってきます。それ以外に力仕事や、外出時の付き添い、また感情面のサポートです。鬱々とするお母さんをなだめるとか、理不尽な怒りとか、そういった暴言とかを受け止める、そのような感情の受け皿になるというのも感情面のケアに入ってきます。またお見舞いですとか、年下のきょうだいの世話といったものがあがってきました。これ以外に身体的なケアや、医療的な的なケアというのも、当然上がってきてます。やはりこういったケアを担ってる子どもたちが多いというのが、おそらくヤングケアラーの見えにくさに繋がっていて、家事をしていても、ケアをしていると思われないですし、感情面のサポートも暴言を吐かれてかわいそうだなぐらいに思うかもしれませんが、それがケアだと思われない。そして本人も思わないし、周囲も思わない。そういった中でなかなかヤングケアラーが見えにくくなってるのではないかと思っております。それ以外にケアの頻度・期間・時間というのを尋ねているんですが、ほぼ毎日のようにケアしているものが約半数。ケアの時間に関しては、1時間未満であるソフトのヤングケアラーが最も多かったんです。一方で4時間以上、8時間以上といった、かなりの負担を担っている者たちも一定数いました。高校になる前、中学生の頃からケアをしているというものが7割になっていました。このような形でヤングケアラーがどのくらいの規模でいるのかというのも計算しているのですが、5.2パーセントですので、高校生の20人に1人、クラスに一人か二人はヤングケアラー達がいるのではないかというような結果が出ております。かなりのケア、長時間にわたるケアをしてる子たちは約1%なので、高校生の100人に1人は負担が大きい状態にあるということも見えてきております。このような形で、本当に少数派というよりは、本当に一定の規模で日本にもヤングケアラー達がいるというのが調査によって見えてきております。

 さて、家族のケアを担うということは別に悪いことではなく、自然なことでもあって、ただそこで様々な問題が生じるケースがあるということです。やはり認識しなければいけないところで、よく指摘されるのが学校生活への影響になります。またケアによって遅刻・欠席が増える。家で勉強できる状態ではないので宿題をしてこない。また成績がどんどん下がってくる。実際にヤングケアラーたちの方が学校が楽しくないっていう風に答える割合が高くなっています。

 それ以外に、友人関係の問題というのもよく指摘されます。ヤングケアラーの方が友人関係がうまくいかないと答える割合が多いのです。元ヤングケアラーたちとインタビューをしてみても、とにかく友人と話が合わないと言っています。やはりケアのために部活を休んだりするので、部活でもトラブルになる。何で休むんだって話になってしまいます。そういった中で迂闊にも居場所がなくなってしまうっというようなことも指摘されています。学校生活のことでいうと、遅刻・欠席の理由でケアのことを、先生に説明してもなかなか理解してもらえない。その話をしたところで、「あいつは何か適当なやつだ」とか「ダメなやつだ」みたいな形で、本当にダメな生徒としてレッテルを貼られてしまうという話もよく出てきます。

 それ以外に健康面の影響です。若いから大丈夫だろうと思っても、やはり毎日のケア、しかも責任のあるケアを担っていると、心身の健康に影響が出てくるというケースもあります。また子どもたちが家事をすると言っても、やはり十分なことはできないので、衛生面・栄養面での影響というのも先生方から指摘されております。このような形でヤングケアラーたち、お手伝いだから、家族だから当たり前というような単純な話ではなくて、日々子どもや若者の人権に関わる事柄なので、私たちは認識する必要があると思います。

 ただヤングケアラーたちは、児童福祉の問題のどのジャンルにも入りにくい。児童虐待までもいかないし、不登校でもないし、非行でもないというところでなかなか支援の対象にならない。また、高齢者福祉・児童福祉・障がい者福祉、様々な領域にまたがるような支援が必要になってくるんですが、縦割り福祉の中で、どの対象にもなってこない。また学校と福祉の連携も必要なのですがそれも進まない。そういった中で、スポッとエアポケットにはまった面というのがあります。どうしてもこういった中でヤングケアラー達というのは置き去りにされてきました。阿部志郎先生のご講演を聴いたときに、しなやかな感性とか、想像力とか、無知への挑戦、また地域包括支援っというのが必要だというところで、そういうところが欠如していたために、やはりヤングケアラー達が置き去りにされてきたのかなというふうに考えております。

 すいません、終了の時間だと言うカードが示されまして、ヤングケアラー支援について、少しだけお話をさせてください。大きな一番のところなんですけれども、あのヤングケアラーという言葉が本当に必要なのかということはご講演を聴いて思いました。つまり今まで様々な地域の実践の中でヤングケアラーという言葉は知らなくても、目の前に困ってる子ども達がいると、そういった中で支援を一生懸命してきた人がいる。つまり名前がなくても、領域・制度を超えて動いた人々がいる。なぜそれが普通のことのようにできなかったのかということを思いました。また現在はヤングケアラーという言葉が出てきましたので、今度はそれをターゲットにした支援の展開を期待すると、学習支援・食事支援・居場所づくりというのはありますが、そこにヤングケアラーも含むという視点を入れた工夫ができないかと考えています。また小休止のためのレスパイトサービス、ヤングケアラーと共に人生を考えて伴走型支援というのも必要だと思います。今言ったようなことは本当に表面的な見えるものであって、その裏側にあるヤングケアラーたちを追い込む社会の構造的問題というのもあります。そういうところまでアプローチしていかないと、本当に焼け石に水状態であって、その社会的、ソーシャルアクションも必要なのではないかなと思っております。すいませんちょっとオーバーしましたが、私の方からは以上です。

(司会 楠さん) 濱島さんありがとうございました。やはりヤングケアラーという言葉自体がまだまだ浸透してない部分もありますし、社会の理解がないという部分は非常に大きいと思います。またヤングケアラー自身も、自分がそういうことだという自覚が無いっていうのも大きな問題かなと思います。やはりそれが孤独につながったりということも悪循環としてあるのかという部分、構造的にもうちょっと変えていかなければならないということがあったと思います。ありがとうございました。

 それでは今5名のパネリストの方々にご発題頂きました。本当はお一人お一人に2時間3時間お話ししていただきたい内容だと思います。今日は非常にもったいないと思いますが、今回はパネルディスカッションということです。お一人お一人の話をじっくり聞くのは難しいですが、今からパネリストの方々同士でそれぞれの発題を聞いていただいて、質問であったり、もう少し掘り下げていきたいというところがあればご発言いただけたらと思っております。なにか質問であったり、もうちょっと聞きたいというところがありましたら、どうぞご自由にお話しいただけたらと思います。どうぞ遠慮なさらずに、一度司会を挟んでしまうと、もうちょっと盛り上がらなくなる部分もありますし、できるだけ皆さんからお話ししていただく方が良いかなと思います。どんどん話を繋いでいってもらえたらと思います。ではよろしくお願いします。

(金光敏さん) 濱島先生の話を聞きながら、少し質問等があるので教えていただければと思います。2016年に公立高校の調査をされた際に、外国人の子ども達の調査があまり意識化されていなかったとことがありました。先生の発題の中で、子どものケアの内容は、1位2位3位4位5位6位まで事例を挙げていただいていていました。家事や外出時の付き添いと、上と下のきょうだいの世話ということを言いましたら、私がやっているMinamiこども教室の子ども達には、日常的にあります。

 これをどう考えるのか、すごく葛藤がありまして、日本的な家族の価値観で子どもが親を助けるというのは美談として語られてきた。その一方、ある日突然この問題が児童虐待に直結しているとも語られています。子どもが良かれと思い、親に褒められると思い手伝ってきたことが、子どもにとってあなたは虐待を受けているって話にもなる。親にしてみたら自分の行為が、子どもの権利を侵害していると指摘されることへの、ある種の嫌悪感があります。

 うちの子ども達の実態で見れば、島之内で子ども教室をやって、あの地域に入り込んでほぼそこで生活した状況がありますが、圧倒的にフィリピンの家庭が多いです。フィリピンでいいましたら、親もそうして生きてきてるので、子どもがきょうだいの面倒を見て学校を休むことは、自分の価値観から考えてもあり得る話ですし、そうして生きてきたんだフィリピン人は、ということなんです。それはフィリピン人だけでなく、僕ら小さい時の在日朝鮮人の家庭でも勿論ありました。

 その問題をどのように専門職として捉えるのか、自分は現場に居て凄い葛藤している部分であります。確かに私たちが教科書的に言うならば、子どもの権利を侵害しています。でも侵害をしているという、ある種当事者にとって厳しいありようが、根本的に問われるような問題提起をすることへの躊躇感もあります。つまり制度上社会福祉的の観点から、子どもの権利を侵害していることが容易に起こる家庭はすでに、社会の中でいえば終焉化され、すでに弾き飛ばされやすい処遇・境遇に置かれてる家庭が多いわけです。下手すると虐待の問題は、この様な家庭を集中的に、更に痛めつける危険性もはらんでいると思っています。一つひとつのケースワークをする際への葛藤を、私自身が抱えているという側面があります。

(濱島淑恵さん) ご質問ありがとうございます。今本当にそういった質問をしていただくと、ヤングケアラーの理解についての議論が、すごく深まると思いますので、非常にありがたく思っております。

 まず最初に家族のケアをしている、家事や年下のきょうだいの世話をしたり、家族のケアをしてること自体は悪いことでは全くなくて、ヤングケアラーは無くさないといけないという話でもない。それは愛情に基づいた文化の継承という一面は当然あります。そういった意味ではそれを否定するものでは無いということです。

 やはり、ケアを要する家族がいる下で、家事とか年下のきょうだいの世話が普通の手伝いと大きく違うのは、非常に責任のある家事で責任のある年下のきょうだいへの世話だったりするわけです。自分がやらないと生活が回っていかない、自分が少しサボりたいと思ってもサボれない休めない、そういった責任の度合いの違いがあるということです。そういった意味では、今まで普通のお手伝いとの違いは何なんだというところで言うと、かなりの責任を負っているという負担を、やはり私たちが認識しなければいけないと思います。

 もう一つ。子どもの権利が侵害されていることと、その家庭そのものが社会から排除されている家庭であるというところです。私はこの子どもたちの権利を侵害してるのは、親とか家庭ではなく、社会だと思っているんです。親御さん自身がしんどい、家庭が社会の中から排除されている。そういった中で子ども達がやらざるを得ないという状況になっていると。その権利を侵害してるのは社会の方であって、だからこそ社会の構造を変えていかなければいけないと思っています。ヤングケアラーに関しての発信をする時の難しさは、じゃあ親が悪いのでは、みたいな話になってしまうことがあって、それは決して違うと思っています。それを正確に伝えなければと思いました。

 もう一つ。この否定するべきことではなく、ケアをすることは悪いことではないと言ったとしても、やはりその子どもたちが、そのケアを本当に最優先して行ってしまい、自分の人生を後回しにしたり、自分の人生や生活を後回しにしてしまうことがある。その時に、やはり自分の人生を歩んで行くことも大事ですし、ケアをしてもらう以上は支えが必要になるわけなんです。子どもたち自身も、いろんなモヤモヤを抱えています。自分は家族への愛情があって、いろんな手伝いをしているけれども何かしんどいなとか、何か他の子と違うなとか、そういうモヤモヤを抱えていても、その原因が何なのかがやはり分からないところがあるわけです。自分のもやもやが何なのか、やはり整理するサポートが本当は必要で、そうすることで自分は、これをしているからしんどいんだ、でも自分はこういう理由で家族への愛情や、きょうだいが可愛いという理由でケアをしてるんだというところも浮き出てくる。でも、自分自身の人生も大事だと、それも考えないといけないんだという形で整理をしていくことが必要なわけです。そういった意味でちょっとお答えになっているか分かりませんが、ケアをしている事は悪い事ではないし、ヤングケアラーを無くさなけれぱいけないことではない。しかしながら、そのケアによって何らかの影響を受けてる以上は、良い社会がサポートしていく必要があるというふうに考えているという事なんですけども、お答えになってますでしょうか。

(金光敏さん) 明快に語っていただいたと思います。少し重なりますけれど、他の方々もそうかも知れませんが、私なんかは援助を求めてきている家庭を援助するのは限定的なんです。むしろ、援助も求めてこれないような状況の中にこちら側が近寄って行き、こじ開けて、社会的援助に繋げることをやっているケースが多い。だから、本当にかなりしんどさの中で意識が麻痺してしまって家庭が閉じています。放って置くとあかんという中で、あえて近寄ってこじ開けて呼び掛けると、この家庭のあなたが置かれている状況は、抑圧の構造にあるということです。説明するのがものすごく難しい。ある種援助を求めてきている人たちに、社会的自立のツールを示して、自らの力で歩んで行ってもらうことは、比較的可能かも分からない。しかし、そうでない家庭に対して、アプローチをする時こんな問題を問う際に、お母さん子どもが学校に行かなあかん、お母さんが踏ん張らなあかん。まあ一義的には今日の朝どうする、明日の朝どうする、ということはお姉ちゃんに子どもを委ねるのではなくて、お母さん朝来たら起きて子ども送り出してあげなあかんで。みたいな事やはり、ないとあかんわけです。お母さんは私も必死や、朝4時5時に帰ってきて、もう朝起きられへん、言われんでもわかってるって言うところからのやり取りなんです。このジレンマと言うか伴走型の支援というのは、一体何なのかとかやっぱり問われているのかなと感じました。

(伊藤悠子さん) 失礼します。今のお話の中で私もそうだな、その部分を感じたことありまして、濱島先生の中でどういうケアをヤングケアラー達がしているのかっていう6位に年下のきょうだいの世話がありました。今おっしゃっていた普通のお手伝いを超えたようなことをしているときに、それをどの様に否定されたと当事者が思わないように入っていくのか、という話なんです。ある虐待事例なんですけれども、どの様に言ったら良いのか考えた時に、ヤングケアラーの意見が斬新で、きょうだいはどうしているの、という意見が出たんです。年下のきょうだいをずっと世話をしてきて、自分の人生後回しになっているんです。もちろん普通のお手伝いを超えて家族の心配をしてきた人なんですが、ケアそのものが彼女、その人の人生であるという風に捉えた時、やはりその過酷なことをしてきても、そんな目に遭わなくても良かったような生き方をしてきたとしても、それをまず認めると言うか、それがあなたであると共感をし、そうだったのそんな風に感じたんだ、味方がいれば、気持ちが通じるような人がいれば、おそらく濱島先生がおっしゃった外側からの社会の構造を圧力を変えていくことと、双方向の内側の力を使って生きてこれたこと、それはすごいことだっていうのがドッキングした時に、この支援っていうのがうまく回っていくのかなと思いました。私自身はそうした過酷な生い立ちであった人の話を聞けるチャンスがあれば、どういう風にこの人が自分の人生を生きてきたのかって、そこの力強さをまず聞きたいと思うんです。その辺りで、お話繋がっていますでしょうか。

(司会 楠さん) はい、伊藤さんありがとうございます。

(栗本正則さん) いいですか。学校内の居場所でもやはり子どもとフェアな関係の中で関係性を作っていかないと、なかなか子どものしんどい状況が出てこないというのがあって、そういった信頼関係が積み上げていった結果、その1年後に実はこんな状況という大変な家庭環境というのがやはり見えてきます。そういった吐露する場面がいっぱい出てきているのですが、フェアな関係性というのはなかなか学校現場にはなく、特に教育現場では指導とか教育というところからいうと、先ほど野坂先生からあったような氷山の一角だけが見えていて、その下にはいろんな状況の子どもたちのしんどさが隠れてるのですけども、その指導とか教育の場ではなかなかそういったことが出てこない。子どもたちは言えない状況がいっぱいあって、そこが学校内の居場所でフェアな関係性の中で出てくる問題をどう学校現場から解決していくかというのが物凄く難しく、地域、行政、福祉に繋げる課題も沢山あります。まずは学校というフィルターを通したうえでの動きになるので、その辺のところが自分たちは地域との関係性の中で、こうすればできるよね、とかこうしたらなんかそこ家庭に届くよね、っといういろんな手を使いながらやるんですけども、学校内からのそういったフェアな関係性をどう築いていくのかとか、その外部にどのようにつなげていくのか、というところをアドバイスがあればお聞きしたいのですけどもいかがでしょう。

(野坂祐子さん) 今、ヤングケアラーの話があがっていますが、そういったお子さんたちはこれまで学校に遅刻したり、提出物が揃わなかったとき、「この子が悪い」あるいは、「家族が悪い」とみなされていたかと思います。この子あるいは家族に何が起きているんだろう?という「トラウマのめがね」で見てみることで、お子さん自身のニーズが満たされていない状況を理解しやすくなるでしょう。トラウマインフォードケアが指す「トラウマ」には、命の危険を伴うような傷つき体験だけでなく、育ちがしんどいという「逆境」までを広く含んでいます。ヤングケアラーも、まさにそれに当てはまるような体験です。「トラウマのめがね」でないと見えにくいところがあります。そうしないと色眼鏡で見てしまう問題も起こります。例えば、ヤングケアラーを勝手に美談として色づける。あるいは、「もっと大変な家庭もある」といった意味のない比較をする。そういう色眼鏡を外して、まずは何が起きてるのかを理解する姿勢が大切だと思います。それをどう名付けるかは別として、今は「何かが起きてる」ことが発見された時期であり、これからのステップが大事かなと思います。

そして、そうした体験をした人が自分を「被害者が」とか、「ヤングケアラーなんだ」、と捉えるだけではなくきちんと話を聴いてもらえるとか、語り合える仲間がいるといったことが大切でしょう。

もし、学校の中ではフェアな関係がなくて語れないなら、語れる仲間作りをすることが大切ですし、それが地域や社会の役割だと思います。語ることは、実はとても難しい。場があれば喜んでしゃべるというものではない。トラウマ体験は、話したらスッキリするようなものではなく、上手く言葉にならないし、しゃべっても最初しんどいだけだし、思い出すと苦しくなるし、話してもなかなかわかってもらえなかったりする。でも安全な関係性の中でやがて「話してよかったな」って思える。

我々が愚痴を話してスッキリするのとは違うわけです。そういった安全な場をつくるとか、フェアな対等な、暴力のない関係性を体験できるがことがとても重要だと思います。自分の苦労や苦痛、被害などを多面的に見られるようになることは、子どもの成長にもつながります。これは、子どもだけが頑張る話ではなくて、社会がそういう関係を作らなければと思いながら聞いていました。

左 コーディネーター 楠  勇 さん
右 コーディネーター 西野 伸一さん

(司会 楠さん) はいありがとうございます。そうですね。言葉に出せないというところで、やはりなかなか共通して言えるのはSOSが出せないとか、社会に理解がないというところで、理解が大きいのかと思います。金さんがおっしゃられたように、こじ開けていくというところも一つ大事なことで、社会の中にすごく分厚い壁がすごくいっぱいあるのではないかという風に感じます。決して見えないものではなくて、ここにいるパネリストの方々にもやはりその苦しみの壁っていうのがすごく見えてるんだというところで、その壁を見るには阿部先生がおっしゃられた、想像力を働かせていかにニードを見ようとするかというところ、こんなことで苦しんでるのかなとか、表面的な問題行動に見えてるけど、実は背景にこんなことがあるんじゃないかなというところを想像するところが、支援のヒントにもなっていくのかと思います。ここはやはり私たちが考えていかないといけないのかなと、すごく自覚させられました。ここにいる方々は支援の最前線にいらっしゃると思いますが、この見えにくいニードというところに対してどんなこと意識をしているのかをちょっと聞いてみたいなと思うのですが、どうすれば見えるのか、どのようにして見ているのかというところを教えていただきたいと思いますがどうでしょうか。

(金光敏さん) 楠さんが指摘してくださった質問にも応えたいと思いますし、ちょっと私が個人的に今、違うという風に声をあげないといけないと思っていることがあるので、多分は皆さんと共有できるという風に思うから、それぞれ専門的な立場から言ってほしいと思うんだけど、自助・共助・公助と言うことが語られていることはすごく恐怖だと思っているんですね。

 自助があって、共助があって、それでもあかんかったら公助だという風な組み立て方が日本の社会の主のコンセプトというか、コンセンサスとなっていることについて、私は対人援助の現場に携わってる立場からいうとそれは絶対認めたらいけないと思っているんですね。下手すると当事者がどれだけ頑張るのかというところに意識がいくのは分かりますが、どうしても頑張らなければないらないでしょうが、しかし私はそもそもが反対でね、公助があって共助があるんですよ。共助があって自助があるんですね。だから政府の指導者が全くそれとは逆方向の社会を今作らんとしてる事について、私はやはり対抗をしていきたいと思うわけですね。何よりもですね、日本社会の中で本当に社会福祉が成立をしてきたのかということを歴史的経過がないと問わないといけないと思っているんですよ。といいますのは、高度経済成長の時代というのは、社会福祉というのはやはり企業社会が支えてきたんですよね。そこでの福利厚生を充実化することで、公の部分での社会福祉の予算充当であったりだとか、ネットワークづくりというのは軽視されてきたわけです。今度は企業がバブル崩壊などで、経済不況のあおりをくらってですね、福利厚生を削り始めた際に、今度は行政側も税収が落ちて予算がないということから、この分野のお金というのが、全体の予算の枠組みの中からいえば、相対的にやはり削られてきたし、矮小化されてきたというところがあり、本当に日本社会が社会福祉の広義の意味で福祉という言葉使ってもいいのかも分かりませんが、福祉の分野を充実化させてきたという歴史的経過が、私には見当たらないのですね。そんな中で、今さらにコロナや何かが起こってですね、まさに一人ではどうしようもないような生活実態を抱えている人々がいる中で、いきなり総理大臣が自助・公助・共助が何ということを言ってですね、それにあたかも追従するような社会の認識が広がっていっている事については、私はノーと言わないといけないと思います。なにかその辺りで、それぞれの先生方のそれは違うでと、やっぱり自助があって共助があって公助があってという議論の立て方も含めて、なにか議論ができたらいいなと思うのですけど。

(伊藤悠子さん) はい。最近よく言われるようになってきた「他人事ではなく、自分事」としてっていう風なフレーズがよく目にするようになったと思うんです。聞きませんか、自分事って。それが今の金光敏さんがおっしゃっていたことで、自分のことは自分のテリトリーの安全は自分で守るということ、でも人のことは人のこと、自分のことは自分でしなさい。そういう我がテリトリーを守っていく意識がこの最近言われてきた言葉にも反映しているのかと思います。なにかこう自分の周りのところも安全だけを確保するというのが、今回のあのコロナ特措法にも顕著に現れていると思っていました。多くの反対で刑事罰はなくなって、行政罰にはなりましたけれども、感染者を収容したり、命令に従わない人を処罰するというのが、日本はハンセン病であんなに痛い歴史を持っていながら、まだこんなことをしているというのが今の現状です。あの金さんが危惧されてることというのが、もうまさに進行中なのかなと、私は思っていまして、ハンセン病の家族訴訟で国がごめんなさいと、誤りを認めたのが令和元年です。つい最近です。なのに、このように分断を生んでいくことが起こるというのは、子どもを守るとか、人の暮らしを守るという中では、今のあの提議というのは非常に重要なことかなって思ってます。

(野坂祐子さん) この一年で急に言われ出しましたよね。その公助・共助・自助って元々は逆だったじゃないですか。例えば、火事があったら消防車を呼ぶという公助が原則であって、でも救急車や消防車を待っている間に自分たちでもできることがあるからやりましょう、という話だったはずです。多分、この一年の変化だと思います。以前は、自然災害やいろんな危機の際に公助ありきというのは当たり前でした。なにか急に言い方が変わったなという感じで、すごく危ういなと私も感じています。

そして、最初の楠さんからのお題にあった、どうして危機と危険とかが見えにくいのかということと関連するのですが、なぜ、人は他者の生きにくさとかSOSが聞けないのか。よくトラウマとか逆境といった過酷な現実の話をすると、「自分はそういう経験をしていないから、大変な人のことが想像できないかもしれない」と思われている方が多いようなのですが、私は、これは逆だと思っています。つまり、トラウマや逆境は、実は多くの人が経験している。だからこそ、思い出したくなくて、感じないようにするし、考えないようにする。あるいは、自分も深く傷ついた経験があるからこそ、「自分だってそのくらいの目には遇ってきた」とか「自分こそ苦しいんだ」と思って、相手の話が聞けなくなってしまうのではないかと思います。広く逆境ということで言えば、自分の安全や権利が侵害されてきた人はたくさんいます。むしろ、この国で暮らして自分の権利・人権が守られてすくすくと育った人なんていないんじゃないでしょうか。自分の気持ちや考え、自分の体は自分のものという“境界線”で守られるべきものですが、例えば、小さいうちから「あなた、こうでしょ」って決めつけられたり、大人は断りなく子どもを触ったり頭をなでたりして、性的な触り方ではなくても、「こっち来なさい」と手を引かれたり、「こうしなさい」と指示されたりすることはいくらでもある。虐待までいかないにしても、子どもや弱い立場の人が操作的に使われることに私たちは慣れすぎていて、それが操作であることにピンとこなかったり、「そんなもんだよね」と思ったりして、たとえ相手が異議申し立てをしても「おおげさな」と軽んじたりしてしまう。こんなふうに一見すると小さな問題を見過ごしているうちに「象」はどんどん大きくなり、しかも、もともと息苦しさがあれば「象」がいる息苦しさ、生きにくさにも気づかない。私たちは、暴力や支配に馴染みすぎていると思います。

話を戻すと、他者を見ようとする前に、自分自身の経験にきちんと目を向けることが大事ではないか。人の気持ちがわかるようになるには、まず、自分の気持ちをきちんと感じられるようになる必要がある。つまり、安全な社会を作るには私たち自身が回復するということが欠かせないと思います。

(司会 楠さん)ありがとうございます。どうでしょうか。何か意見がありますか。

(栗本正則さん) さっき言われた通り、阪神淡路大震災の後で命を救ったのが消防とか行政じゃなく、近所の人だったということで、そういったところから自助・共助の大切さということが言われてきています。防災の計画にしても、今は全部区役所や地域の活動協議会の方に丸投げをして、後はどうにかやってよとなっていることが、今ものすごく気になっています。今おっしゃられたように、地域福祉や社会福祉の中でも急に我が事丸ごとと、地域で頑張ってねみたいに言われてるというのが今の実感してるところです。やはり、公的な行政が大きなフレームを作ったうえで役割分担、共同、連携という言葉でつながっていかないといけないと思っています。行政といったら予算や制度の範囲の中では動きますが、それを越えて連携しましょうという姿勢が見えません。今は予定調和を連携の中でそれぞれが動いてるだけであって、そこからこぼれ落ちている子どももたくさんいますが、それを見ようとしないというのが行政の現状だと思っています。自分達が取り組んでいる居場所で教育(学校)の中の居場所であると、やはりそこはもれなく全部地域の子どもが集まってくるので、そういったところで公平な場所としての設定、そこは指導とか評価はない場所で、子どもと日々話してる中でどう信頼関係積み上げ、話を聞けるかというところと、その部分をどう地域、行政と繋げていけるかっていうところが自分たちの役割だと思っています。ヤングケアラーのケースでもなかなか学校では受け入れられない状況もでてきています。お母さんに精神的な疾患があって、朝は世話せなあかん、ケアせなあかんっていう状況の生徒さんいて、学校に5分遅刻して入ると、先生からお前がそんなことやってたら生徒全体に迷惑かかるねんと、そんなことを言われ、そんなことが2回、3回続くと、やはりもう学校に俺おれへんかったらいいやんけに繋がり、もう学校に来ない、不登校になって辞めていくという事例がありました。やはり社会ではそういう本来のしんどさ、本来社会的に解決しないといけないところを見ないで、そういう表面、氷山の一角だけで、評価、判断してまうというのが生きづらい世の中になっていると感じています。そういったところを自分たちがどう役割を果たして、本当にしんどい子どもたちのためにどう動くかというところを考えていきたいと思っています。

(濱島淑恵さん) 順番的に言って感じですけどそうですね。まずはの自助・共助・公助というところで言うと本当に私1990年代に大学生だったんですけれども何か途中から新自由主義が吹き荒れててですね、あのいろんな権生存権保障とかそういった習ったことが全部吹き飛ばされていったようなですね、そういう感覚というのがあります。で、自助とか共助とかですね、本当に自助の基礎的なものですし、共助も大事な事なんですけれどもそういったその政策的なところ新自由主義をベースとした政策的なところで随分、利用されてきちゃったなっていうところがあります。まあ本来あるべきの地域福祉とか本来あるべきの共助とかではなくなっているのではないかなというのを非常に強く感じます。で、あの日、金さんがおっしゃっていたように公助があるからこそ自助が可能な訳であって、そこが抜け落ちて主従が逆になっている。まず、自助して共助して公助だっていいですね。主従が逆になってるなって、非常に強く感じております。で、そういった中でですね、その歪められた地域福祉、歪められた共助の中で結局、その地域福祉また共助の役割というのが国によって、位置づけられて、こういうことをしなくちゃいけないのねっていうようなですね、受け皿になっているというところもあると思いますし、そうしますと制度化された地域福祉の中で、ほんとは地域福祉者がもっと柔軟にいろいろなですね動きをしなければいけないのに、いや私たちの対象は違うからって形で線引きをしていく。そういった中でヤングケアラーはですね、なかなか支援されなかったのではないかというふうに感じております。そういった意味ではやはりそろそろ本当にこれでいいのかなぁっていうのですねしっかり見直していかなければいけないと特にコロナ禍を見てましてもみんなコロナ禍にさらされてはいるんですけれどもダメージが大きいのはもともとしんどさを抱えてていた人たちへのダメージというのは非常に強いと、これはやはりと自助かですねそこを強めてしまった象徴してしまったところのしっぺ返しが来ているんだろう、そういった方たちへのしわ寄せが来ているんだとろうと思います。また、ヤングケアラーたちを見ていましても自助の限界ってのがよくわかる訳ですね。まず家族で頑張れっていうのがあってだからこそ家族の仲だって何とかしようと自分たちがやらなきゃいけないんだっていうような思いが非常に強くあるのではないかなと思います。そこにきて2つ目のテーマといいますか、その見えにくいニードっていうところにもつながってくるんですがみヤングケアラーたちを見てるとその自助の自爆みたいな物があってそういう自分たちの家庭の中のことを外にいってはいけないとか家庭の中の事を理由にして遅刻をしてはいけないとかいろんな形でですね自分たちのしんどさとか負担とか困難っていうのをギュッとうちに押し込めてしまうってところがあるなぁというふうに思っています。そういった意味でですねヤングケアラーもその家庭もなかなか自分たちのしんどさやSOSを出さない、そしてやはりなかなかそのニードが見えて来ないっていうような実態もあるのかな。私はヤングケアラーについての活動しておりますのでそういった意味で言うと、より語り合うことが大切だっていうのは非常に思っていまして、先ほど、金さんが家をこじ開けて入るということを伺って、「すごいなぁ」と思ったんですけれどもこじ開けるところまではなかなか行かなくてもとりあえずですね他のヤングケアラーたちの語りを聞く中で、そこで自分のこ とをもう一度見直すことができて、そこでその自分がニードに気づいていったり、自分の家庭の二ードに気付いていったりということがあります。そこで自然と自分もと思わんという人が自分のことについて語り始めたりすることもあるわけですよね。そこでこの子もこんな状況にあったんだとかそういうニードを抱えていたんだっていうのもを周りが初めて知ることができたりする。やはり同じような立場の仲間との語りによって見えにくいニードが見えてくるってそういったこともあるのかなぁとちょっと最近感じております。私の方から以上です。

(司会 楠さん) ありがとうございます。やはり話されていたように社会がすごく分断されていると排除が増えているところでは、元々やっぱり苦しんでいた人達がすごく浮き彫りになってきたっていうことが多くあるのかなという風に思います。でも改めて、やっぱりその繋がりというところを、私共の仕事においても、やっぱり繋がってきたんだっていうところで、この突然分断されたけれど、やっぱりその繫がりに助けられてきた部分っていうのがすごく、また改めて見えてきたというか、そういうこともありました。やっぱりこの切り離されたつながりっていうのをどう回復していくのか、またその新しいつながりというところも可能性も含めてコミュニティであったりとかっていう地域社会というところをどう作っていくのかというのもやっぱり考えていかなあかんのかなというふうに思っております。阿部先生の話でもあった、互酬の文化であったりとか、ま、ボランティアの話もすごいあると思うんですやっぱりこの日本の今のその特性というところを活かした福祉文化っていうところは、みんなで考えていく必要があるのかなあ、というふうに思っております。その辺りも何かちょっとヒントをいただけたらなと思うんですけど。今、語り合う大切さってというところも大事やなと思ったんですどうでしょうか。

(金光敏さん) はい、今の問いかけに答えることなのか分かりませんがね。まあ私あの現場に携わっていてやっぱりジレンマを感じるのはとにかく複合的な課題を同時に解決しないとあかんということが多いわけですね。あの福祉的支援というのは結果的にはですね、家庭の安定にどうこうするのかということなんだけれども、例えば、現場で見てると労働の問題もあるし、住宅の問題もあるし、医療の問題もあるし、教育の問題もあるし、福祉の問題もあるし、本当に一つの領域だけで一生懸命自転車をこいでもですね、前に行かないというかね、自転車が前に進むために道路の整備が必要だし、錆びついたチェーンに油をささないと前に進まへんしということで、あの本当に複合的な課題を同時に現場で担っているというのが実態なんだというふうに思うんですよね。そういった観点で見るとやっぱりその日本社会の今のやっぱ致命的な観点はですねすごく縦割りの社会であるということです。この縦割りの社会をどう克服していくのかとか、とても大事でそんな意味言いましたら、今日、主には福祉の分野に携わっている人たちのこの会だと思うんですけれども、一方で今日、学校教育に視点を置いてね語ってくださいました。それの視点、ほんとに大事やと思います。学校の中に福祉の視点を盛り込まないとだめだというふうに思うし、福祉の領域に教育につながる援助スキルっていうものがもたらさないとあかんと思いますし、まさにあの臨床心理の観点から見えない苦しみをどのように見ていくのかっていうようなことが必要だというふうに思いますし、またあの行政の在り様を批判するだけではなくて、行政のあり様をどう変えていくのかというふうな課題も私たち担わないとダメなんですよね。そういうことで言いましたら一生懸命ケースワークをやってきてるんだけどケースワークって終わりがないんですよ。気が遠くなるぐらい無数のケースを抱えてやって行かざるを得ないからそれはやっぱり長い目で見た時に少しでもセーフティネットの目を細かくして、人々が公的援助の中で自らの力で自立していける方策を生み出すためにはですね今のこうのあり方であったり公共のあり方であったり、行政のあり方っていうことを具体的にどう変えていくのかというフレームワークがやっぱり必要ではないかというふうに考えました。だからそういう観点でいつもフレームワークを変えるためにどうしていくのかという観点で私、いつも言うてますね。西野さんが国会議員にならなあかんって、あの西野さんが国会議員なってね、ほんまにこの分野のエキスパートとして政策立案にやっぱりかかわっていかなあかんっていうふうなことをね、いつも言っているので、今日は西野さんが国会議員選挙の出馬宣言を終わりにされるというふうに思います。

(司会 楠さん) はいありがとうございます。やっぱりソーシャルアクションというところでもう社会のシステムというか構造を変えていくというのもやっぱり訴えかけとして必要だっていうところはすごく大事だなと思いました。ところで、もう4時が近くなってきておりましてそろそろ参加者からの質問っていうのはどうなってますでしょうか。

左 コーディネーター 楠  勇 さん
右 コーディネーター 西野 伸一さん

(司会 西野さん) たくさんの参加者の方からのご質問を受けております。あの非常にこの質問一つひとつを間に挟もうと思っていたんですけれどもまさに、こうぴったり議論、質問に対してぴったりの議論が展開されているなというところで多分質問者の方も今日の議論を聞いていく中で様々なことをお感じになられたのではないだろうかというふうに思います。お時間も非常に迫ってきてる中で一定基準の公助といったものが充実した上で互助や共助などもやなども必要。そして互助や共助などの動きを活性化しつつ公助を充実させる、今のフレームワークにケースワークを重ねていく、ケースワークがいらないんじゃなくてケースワークを重ねる中でどういうフレームワークを作っていくのかっていうことができるのかっていうことの質問も来ています。そしてもう一つやっぱり地域福祉の現場に行ける人たちがたくさん今日の研修には参加していますので、この公助を充実させるためにもこの福祉の現場はどのようにしていけばいいのか、何をしていけばいいのかという希望に結びつけたお話を最後皆さん、お一言ずつ時間でいうと2分ずつでまとめとなるんですけれども頂けると皆さんの質問にもちょうど解答することにもなるかなというふうにも思いますので、ぜひ最初は金さんから始めましたので最後に2分ずつのトークは濱島さんの方からお願いできたらなというふうに思うんですがいかがでしょうか。

パネリスト 濱島 淑恵 さん

(濱島淑恵さん) そうですねやはり共助からその公助を充実させていくという時、本当に大事だと思っていまして、いろいろ方法があると思うんですけども、すいません私研究者の立場から申し上げますとやはり調査研究の力って大きいなって思っているんですね。その地域で現場で実践して色々なことを感じてらっしゃる方の声を単なる声ではなくてデータで示していく。それをですね様々な形で社会の方に示していくということが大事だと。今回ヤングケアラーもこれだけマスコミがお祭り騒ぎをしているんですけれども、やはりそれは調査が行われてその姿が表せられたからだと思います。そういった意味ではその地域の実践者と研究者たちがですねタッグを組んでですね示していくってことも一つの手段としてあるのではないかなと思いますので一緒に頑張ってきたいと思います。私からは以上です。

パネリスト 栗本 正則 さん

(栗本正則さん) 自分達が本当にそういった現場の中で日々努力はしてるんですが、倉光さんからあったように本当に自分達も笑顔で取り組みをしていかないといけないと思ってます。そして、不登校の生徒さんたちが本当に学校に行かなくなると、学ぶ勉強じゃなくて学ぶ場所が本当にないんですよね。それでも地域の図書館に行けたり、地域の社会福祉施設の中で勉強ができたり、そういったことで関われるような機会も今あるんじゃないか思っています。笑顔になるためには、やはり、毎日ケースでしかめっつらして、難しい顔して子どもと対立するんじゃなくて、文化とかアートとか自分も楽しみながら子どもとどう成長していくかというところを考えながらやっていけばいいかなと思っています。以上です。

パネリスト 伊藤 悠子 さん

(伊藤悠子さん) コロナ禍でどうしていったらいいのか、何が怖いのかというご質問がたくさんありました。まずは感染症であることを誤解されることの不安です。感染不安って言いますけれども、それ以上に隔離や喪失ということに対する恐怖であると思います。どうなっていくのか分からない。病院は隔離や恐怖喪失への恐れを取り除いていけるように、乗り切っていけるように様々な工夫で尽力をしています。そして、人は大きな問題であるほど繋がりを求めてしまうように DNAができています。人間は進化の過程で第3の方法を生み出しました。戦うか、逃げるか、死んだふりかっていうことの次に編み出したのは「仲間とつながる力」です。自分一人ではどうしようもできない大きな問題こそ仲間を作ること、そのためには自分をいたわる事です。笑う時にはお風呂でマッサージをしていたわる。マッサージをするのはこのマスクの内側にある部分です。眉から下のマスクで隠れた部分には、第三の迷走神経の枝がたくさん顔を出してます。心のふれあい、笑顔のふれあいということがあると、人と繋がっていく力がどんどん発揮できますので、マスクの中でビックスマイル!

パネリスト 野坂 裕子 さん

(野坂裕子さん) これから公助をどのように大きくして、どうなって共有していくのかという点が課題だと思います。今、こうして繋がっている私たちがイメージしている公助、つまり「こんなふうにあってほしいな」っていうパブリックなものと、世間が目指している公助は、どこかずれているのかもしれません。もしかしたら、世間の多くの人は「わきまえておきなさい」と、そのような社会を求めているのかも。そうすると、最初の阿部先生の問いかけに戻ります。「どんなビジョンを持って、どんな社会を作りたいのか」ということです。私たちは「みんなでハッピーになる道を選ぼう」と思って進もうとしているわけですが、社会全体で見たら、そうではない人たちが多いのかもしれない。ですから、社会全体で何が起きているのかということを見ながら進むことが必要だと思います。その方略を立てる前に、私たち自身も、どのようなことを目指しているのかを明確にしなければなりません。そのためには、やはり対話を重ね、私たちも意見も伝えていったり、彼らの言い分は一体何なのかということをきちんと聞いたりするということが求められるように思います。とても遠い道のりなのですが、遠くまで行くために、それは欠かせないと思っています。

 最初に、集団があるだけではグループではない、集うだけではチームになれないということを申し上げましたが、喋るだけでは対話になりません。対話にはスキルがいるし、練習もいるし、努力もいる。なにより、対話ってけっこう面倒くさい。でも、そうした対話を厭わず、面倒だけれど続けていくのは、小さいことだけれども今回のテーマである「社会をどのように作っていくか」ということに関わるものだと思います。ありがとうございます。

パネリスト 金光淑 さん

(金光敏さん) 私は教育の分野が専門ですので、教育の分野で先生方にいつも語りかけるのは、子どもの背景に迫る力が大事だと言っています。つまり目に見えることだけではなくて、目に見えない子どもたちの背景に迫って関わり、伴走型の支援をして子どもたちの5年後7年後にこの子達をどういう風に育てたいのかということを今逆算しながら今と向き合ってほしいということをいつも語っています。それは保育の現場でもきっと同じだというふうに思いますね。子どもの背景に迫るためには二つの要素が必要で、一つはもうまさに野坂先生がおっしゃっていただいた部分です。コミュニケーションの力ってのが求められています。もう一つは、やはりチームなんですね。学校でいうと「チーム学校」だろうし、「チーム保育園」だろうし、あるいは社会全体で言うならばあの「社会連帯」ということなんだと思います。私たちが力を傾けるとするならば、個人がコミュニケーションスキルを身につけて対話力を高めていくということが右の車輪であるならば、左の車輪はね社会連帯を高めていくために必要な動きや発想をしていくってことが大事なんだと思います。私がやっている活動もその社会連帯をより高めていく、地場を高めていく活動だと思っておりますので、大事にしていこうと考えています。今日はありがとうございました。

(司会 楠さん) そういったところで、4時10分になりました。5名のパネリストの皆様本日は本当にありがとうございました。非常に活発な議論であってもっともっと聞きたいという所、もっと深く聞いてみたいいうところがたくさんありました。しかも皆さん同士ですごくうまいこと回してくれたので司会者としてはすごく助かりました。ありがとうございました。参加者の方々も画面の向こうから是非拍手をお送り下さいありがとうございます。

 それでは最後になりましたが日本地域福祉施設協議会会長岸川先生よりおまとめを頂けたらと思います。岸川会長には是非今回参加していただいた方々へそれぞれのお仕事や活動のビジョンに向けて一歩を踏み出せるようなメッセージを頂きたいと思います。それでは岸川先生よろしくお願いします。

会長 岸川 洋治 さん

(岸川会長) 日本地域福祉施設協議会の会長の岸川と申します。日本地域福祉という日本の名前がついておりますけれども、私は全国で一番小さな協議会だと思っています。会員が約20名程度。しかしこの全国の研修会についてはいつも200名ぐらいの人達が集まる大きな会合になっています。コロナ禍の中であっても形態はことなりましたけれども継続してこの全国研修大会が開かれましたことを本当に心からお礼申し上げます。開催の準備をしてくださいました大阪市地域福祉施設協議会会長の倉光会長、実行委員長の西野さんをはじめ27名の方がスタッフとして準備をしてくださったということを聞いております。大変お世話になりました。ありがとうございます。それからまたオンラインでのパネルディスカッション、実は私は初めて経験をいたしました。しかし、この時間は大変有意義な会となりました。パネラーの方もそれぞれのご活躍の様子を語られながらすぐに問題・課題を共有していただきました。このような話の絡み合ったパネルディスカッションというのは私は久しぶりにしました。でそれは皆様、お一人お一人の活動が実に素晴らしい、そして社会を見て活動をされている、そのことが要因かという風に思います。それから司会を担当してくださいましたお二人の方にも感謝申し上げます。楠さんはそれぞれの途中である程度のまとめをしてくださいまして私がまとめをするよりもその都度その都度まとめをしてくださったそのことが有意義かなと思っています。

 今日、皆さんの議論を聞いてましてひとつだけ私思うことがあります。大きなテーマとしては自助・共助・公助これをどう考えるかというお話でございまして、私はこういう議論の前提として、私は憲法第25条が今どうなっているのか、そのあたりをしっかりと議論し、また必要であればそのことを求めていく必要があるのではないかと思っています。ご承知の通り健康で文化的な生活が私共一人一人ができているのか、その生活が出来てる上での自助・共助・公助ではないかと思うんですね。今の新聞報道その他いろいろ見てますと生活困窮者の方々、じつに健康で文化的な生活をしていないかたが殆どだという風に考えます。私はその辺りにもう一度私共は立ち返る必要があるんじゃないか。昭和、古い話になりますが30年代朝日訴訟というのが起こりました。朝日茂さんという方が今の生活保護はとても酷い。もっと生活保護費あげろというこのような訴訟を起こしたんですね。それから昭和40年代になって少しづつ生活保護費の基準が改定されました。でも今そのことがどうなのか。健康で文化的な生活とはいったい何なのか。そのことを考えるときではないかという風に皆さんのディスカッションの中から思ったことでございます。

 さて今日、この後少しお話をしたいのは基調講演に阿部志郎名誉会長がビデオで登場いたしました。この大会25年間続いておりますけれども。全国の研修会で阿部名誉会長が基調講演をしたのは初めてだと思います。倉光会長のご指示通り30分にまとめさせていただきました。

 私は阿部会長の講演は何回も聞いておりますけども、その聞くごとに新しい課題を突きつけられています。今回のビデオで冒頭のところでこういう話がありました。大阪府時代の小河滋次郎が私的活動が公的救済を指導、監督する言い放った。そのことにもう一度私たちは耳を傾けていいのではないでしょうかと語りました。でも今日の5人のパネリストの方々の活動は、公的な制度を指導していると私は思いました。特に金さんが2月18日の朝日新聞オピニオンアンドフォーラムの欄でこういうことを書いておられました。Minamiこども教室で数百人の相談があった。もし私達のような団体がなかったら地域はどうなっていたのか、行政もきっと混乱して一般の方々への支援も遅れたんではないか。外国人、家庭支援に詳しい私たちの民間の知恵を生かすことを勧めたい。このように書いておられます。まさに小河が言う公的制度の指導でございます。

 さらに小河は次のような事言っています。公的救済が完備したとしても、窮民を網羅できない。仮に網羅したとしても救済本来の精神的活動は望むことができない。つまり小川は公的活動は精神的な活動ができないと言ってるんですね。今日お聞きいたしました野坂さん、伊藤さん、栗本さん、濱島さんのそれぞれの活動、そして金さんの活動、いずれも公的なところではなし得ない活動ではないか。まさに精神的な活動ではないかという風に思いました。ただいまの議論の中でも寄り添うあるいは気持ちが通じる人そのような言葉が出てまいりました。私はこの精神的な活動というのはセツルメントの実践で私共が大切にしている人格と人格の交流を実践されているという風に感じました。

 これからは登壇された方以外の方にも言える、むしろ地域福祉施設の方々に申し上げたいことなんですが、阿部名誉会長が小河の言ったことにもう一度耳を傾けてもいいではないか。と言われた背景は民間社会事業に対する問題提起があったと私は見ています。社会福祉法人の仕事のあり方がこれでいいのか、制度の枠の中で仕事に留まっているのではないか、街に溢れている様々なニードに気づきながらも手が出ない、出していないんではないか。このようなことを言っていると思いました。これは私の反省でもあります。私たちは勝海舟が言った「着眼大局、着手小局」、全体を眺め大きな方向を見定めそこから具体的な行動に落とし込む、そして実践をしていくということが今必要かという風なことも阿部名誉会長の話から考えました。今の社会全体をその生活課題を私共の専門的な領域を超えて、俯瞰して見るそしてニードを感知し行動に移すそのことが私たちに求められていると思います。そのことを今日は5人のパネリストの発題と問題提起から学びました。まさに皆さん方の活動というのは私共地域福祉施設がこれから展開する上での一つのモデルになったんだろうという風に思います。

 それから阿部名誉会長の話の中で関東大震災の時に米国の軍隊が「1分早ければ一人助かる」との合言葉として行動した事も話されました。このことは災害時のことだけではなく、私たちの今の社会で支援を必要とする人々への対応の仕方について言っている事だと私は理解しました。皆様方のパネリストの例の中で言えばヤングケアラー、どう早期に発見するかということも課題もしれません。そしてそれにどう対応していくのかということも課題だと思います。外国籍に繋がる人々への早期支援、これなども金さんの実践に学びました。話の中でプロテスタントのへボンが医療現場でカトリックの看護師の支援を受け非難された時、「制服は問わない」と答えるということも語られました。私達はそれぞれ職種も違い仕事の中身も違います。ある意味では制服は異なっています。でも社会の生活課題に対して、連携を組むことの必要性の指摘かと思います。制服は問わない、私たちは横の連携をさらに強めて行く必要があると思います。

 そして地域包括には実態がないとも指摘されました。今、国をあげて地域包括支援システムを作ろうとしそれぞれが動いています。でもそこでどうしてもそのことがピンとこないことがあります。それはなぜかというとやはりそのような計画を立てる行政の方々には地域のことが見えてないからだと思います。地域のことが見えていればあのような絵に描いた餅のようなプランは立てないんではないか。そこで私共の出て行く場面があるのではないか。それぞれの小地域での活動を発信しながら積み上げそしてそれを政策に活かしていく、そのようなことを私たちは求められていると思います。

 今、私達の社会は新型コロナウイルスの感染、それ以前からは社会の格差の問題、貧困問題、虐待問題、いろいろな問題が出て今の日本の社会、大きな不安があるような気がいたします。その中でネガティブケイパビリティ、不安失望に耐えて光を見出す、その光を見出すことを私達はこれから取り組んでいかなければいけないんだと思います。それはそれぞれの施設でできるわけではありません。全国のセツルメントの精神を基本理念としている仲間と。また、今日発題された方々と共に市民の文化形成と共生社会を目指して一歩一歩歩み続けたいと思います。

 この日本地域福祉施設協議会というのは社会福祉、地域福祉の学会でもありません、業界の集まりでもありません。志をひとつにした仲間が集う会であります。セツルメント思想からボランタリズムを考えながら相互に刺激し合い、そしてさらに日々高めて行くような仕事を仲間と共にしようというこういう組織であります。こういう組織の中に今日ご発題くださった方々も参加して頂きますともっと幅広い活動が今後展開できるというふうに私は思っています。今日はとても私自身大きな勉強をさせていただきました。私があまり気がつかない問題、それをそれぞれの方々から学びました。このことを私は心に留め、そしてまた仲間と一緒にこれから仕事を進めていきたいと思います。この協議会、来年も開催されます。できれば対面で開催したいと思います。そしてその時まで私たち一歩一歩みんなで進んでいきたい、そのような思いでございます。今日は本当にパネリストの方、準備をしてくださった方、それからこのオンラインを通して参加してくださったかたに感謝して終わりの言葉といたします。どうも皆さんありがとうございました。

(司会 楠さん) 岸川会長ありがとうございました。それではこの全国研修会も閉会に向かいたいと思います。最後に本研修会の実行委員長であります、大国保育園園長西野伸一より閉会の挨拶です。西野先生よろしくお願いします。

コーディネーター 西野 伸一 さん

(司会 西野さん) 本日は5名のパネリストの皆さん本当にご参加いただきありがとうございました。まだまだこのディスカッションを続けて聞いていたいと思いながらさまざまな学びと気づきをいただきました。まず一つが、社会から周縁化された見えなくされている人々とともに自らの足で歩まれ、時に杖として寄り添われているこの5名の活動というのは本当に地域福祉の人間たちに大きな刺激と学びをいただけたのではないかと感じます。そしてその力とは何なのかなと考えながら聞いていましたが、やはり二つエンパワメントとレジリエンスを信じる力ではないだろうかと思います。それはもしかしたらこじ開けていく力に繋がるのかもしれないし、受け止めていくっていう力に繋がっていくのかもしれない、そのような気持ちで聞いていました。また一方的な関係での支援というような言葉ではなくて、時に支え、時に支えられる関係性、専門性よりも関係性が重要なんじゃないだろうか、そんなことを教えていただいたような気もします。そして最後に自己責任論、家族の責任にされているような様々な問題が紹介されていました。まだまだ地域社会の中では見えなくされているような問題がたくさんあると思います。そこで私たちはその氷山の一角の課題に対して取り組むことも重要かもしれないけれども、その見えないその水面下にある課題、そこはまさに構造的な問題ではないだろうか、そこにこそ地域福祉は取り組んでいかなくてはいけないのではないかという新たな課題もいただきました。

 現在、地域の中では地域共生という言葉や地域福祉という言葉がもう行政用語のように使われるようになっています。もう一度僕たちは「セツルメントしてますか」という相言葉で、この生きづらい社会の中で共に希望を見つけていけるような取り組みをできるのではないか、そのようなビジョンを私たちもそうですけれども今現場の最前線で立っている若いスタッフたちとともに考えていきたいと思っています。

 正直な気持ちで言うと、私が勤めている現場でもそれは簡単なことではないと思っています。金敏光さんが言われたようにフレームワークに変えていく力で、私たちがケースワークを共に領域の壁を乗り越えて渚にしながら共にいろんな分野が共同していくということからスタートしてきたいと思います。

 今年のテーマ、「共生(とも)に生きる」という新型コロナの只中において、大会がコロナだから中止ではなくて、今できることは何なのかということを考えさせていただきました。もう一度5名の先生方に大きな拍手をもって感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございます。

 そして今こちらが大阪会場は大阪市阿倍野区の育徳園保育所の幸分ホール、幸せを分かち合うという会場で配信させていただいています。そこに今日映っていないたくさんのスタッフがいてます。まずは少しあの重江監督、スタッフのメンバー、裏方で働いている人たちも少し紹介していただけないでしょうか。はい、スタッフも固まらないで手を振ってください。今日こちらの会場に集まっているスタッフは一部です。あの密になってはいけないので視聴者として参加していただいてるスタッフもいますが、今日は現地でこのようなスタッフが支えてくださっています。いつもなら研修会が終わると施設見学を行うんですけれどもなかなか皆さんお越しいただくのは難しいですのでちょっと映像で育徳園の施設を紹介したいと思います。今、窓の奥にある施設、ここは保育所の建物ですけれども小学生以上の子どもたちがたくさん集っている日々平均80人在籍100人くらいの子どもたちが毎日集っている育徳園子どもの家という施設があります。ここでは0歳から子どもたちがやってきて18歳までの子どもたちがここでともに過ごしています。僕たち大人よりも子ども達の方がこの共に生きるというような社会に向けての力を持っているって言う事を教えてくれているのではないでしょうか。そんな気持ちも込めて子どもの家の施設の方も映して頂いています。ただ今日は遠足に出かけていますので子どもがいないので残念なのですが、遠足先から吉田さんという指導員がLINE送ってきて、写真やエールのメッセージをたくさん送ってきてくれたことも合わせえ紹介したいと思います。

(倉光会長) ちょっと一言最後に言うときたいことがあります。金さんから西野さんの衆議院議員立候補の話ありましたですけど、おそらく二カ月で辞任に追い込まれると思っています。そこだけ追加したいと思います。

(司会 西野さん) それでは第25回全国地域福祉施設研修会は、これにてお開きとさせていただきます。第26回は開催地がどこでできるかを今から検討中なのですが、できたら対面で集まることができればと思っております。今日お越しいただいた先生方にもたくさん時間をとってたくさんの語りをしていただけたら嬉しいと思います。こちらでお開きとさせていただきます。ありがとうございました。

運営委員の方々
運営委員の方々
第25回 全国地域福祉施設研修会(当日ZOOM配信分)


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