●第82回 2019.12.6(金)報告

テーマ「むすび」人生を見つめる寄り添い所、その変遷

話題提供 石橋友美さん(紙芝居劇むすび マネージャー)

□ おっちゃんたちの、おっちゃんたちによる劇団
 2000年ごろからホームレス問題が社会問題化した。そのころサポーティブハウスができ始め、高齢化した労働者がこの町の住民になり始めた。その部屋は狭小なドヤを転用したものがほとんどで寛げる環境とはいえない。そこでは、孤立やアルコールなどの新たな問題が生まれていた。
 紙芝居劇「むすび」の事務所は今池にあるサポーティブハウス・フレンド(アプリシェイトグループ)の隣ににあった。釜ヶ崎市民活動促進センターカマナビというN P O(2003)が、そこを寄合所にして、畳に上がったけれども孤立しているおっちゃんたちを部屋から出そうという目的で憩いの場を開いたことが起点となった。

□ むすびとの出会い
 島根県出身の石橋友美さんは、ロスト・ジェネレーション世代で、親は団塊の世代である。大学を卒業するころは就職氷河期という狭間の世代で葛藤していた。思うところがあり外国でバックパッカーをしたりする中で大阪、芦原橋に流れ着いた。その当時、部落問題は知らなかったが、芦原橋で解放運動に出会い、人権問題に目を向けるようになった。そのころライフワークを見つけたいと考えていた彼女は、上田假奈代さんの紹介で2005年にむすびと出会いマネージャーに抜擢される。
 むすびはこれまで、わかくさ保育園、大国保育園、こどもの里、愛光保育園(十三)、やまき苑(玉出)、大阪人権博物館、阿倍野昭和の日イベント、大学生の見学などで公演を行ってきた。2008年にはロンドン、東北の震災後は宮城のほなみ劇団との交流が始まり、福島にも定期的に遠征している。また、ケニアのキベラスラムにある、マゴソスクールとも遠距離の交流を続けている。

□ むすび、ふたたび独立(第1期)
 2005年、釜ヶ崎市民活動促進センターカマナビは急に解散して、むすびメンバーは置き去りのような状態になっていた。それを見ていた上田假奈代さん、ありむら潜さん、サポーティブハウスのオーナーたちが今後の活動について相談していた。すると、初代代表の浅田浩さんが「人の世話になりきっていると事務所が解散してしまったときなどに何の力もなく自分たちは取り残されたりする。自分たちの力でやりたい」と語り、自分たちでむすびを立ち上げ直した。
 初期のメンバーは戦争を経験している世代で職人気質の人が多かった。その8割の人に野宿経験があった。始めは公演先も少なくココルームからの委託された作業などもしながら過ごした。そして少しずつ、メンバーが持つ表現力を引き出し紙芝居劇が完成していく。事務所も、誰でも気軽に立ち寄れる居場所となり、学生などの若者や地域、世界から人が集い、多様な人が交流できる場となっている。

□ むすび(第2期)
 むすびのメンバーを年代ごとに調べてみると概ね3期に分かれている。第2期は佐野善雄さん(89歳-94歳)や本所博史さんが中心で活動されていた。佐野さんは幼少期も貧しい生活を送り徳風小学校を卒業したのち、兵庫に婿養子に出たり、九州の炭鉱や全国の飯場に行くなど釜ヶ崎を拠点にして暮らしてきた。自分の子どもは郷里に残してきたので子育てをしている人を応援したいと考えていた。
 このころ、むすびの公演数は年間40回を数えた。このころのむすびのメンバーを見ていると不死身のように感じていたが老いは瞭然たる事実として徐々に近づいてくる。むすびのメンバーはあまり社会サービス(デイサービスなど)を使わず、メンバー同士の自然な支え合いのような関係性を築いていた。高齢者施設などでも公演することがあったが、観ているおばあちゃんたちも同世代でお互いに励まし合う姿などもあった。

□ 年をとるのもいいもんだ
 単身で生活保護を受けている人は病院に入っても(入院)肩身が狭い。また、その方々の葬儀は本当に寂しいものだった。しかし、「むすび」というつながりの中で生きて、亡くなっていく人の葬儀は花も多く、仲間に泣いてもらえることもある。それは、死ぬまでのつながり。そのつながりとは、誰かが自分のことを知ってくれているという人生の味ともいえる今までの人生になかったものを取り戻す場としての緩やかな接点といえる。その家族的なつながりにより、自分自身の存在を実感する。弔うことの大切さを見せつけられた気がした。そして、むすびメンバーのなかに人生を大切に生きていこうという気持ちが生まれてきた。

□ 現状と今後の展望
 むすびは近辺の高齢者を中心に、知り合った若い世代や中年層の拠り所、立ち寄り処としての機能を育んできた。ひと花センターや見送りの会など他のさまざまな活動もあるため、全員集まるのは週1回となっている。メンバー同士で病院の付き添いや見守り、日々の寄り添いもできつつある。公的な援助に頼らない民間の自助グループとして新たなつながりの機能を蓄積している。そして、高齢になってもその人らしく地域で暮らしてほしい。
 周辺地域は目まぐるしく変化している。むすびを始めた初代「おっちゃん」たちの精神を引き継ぎ、次世代に共存、共生、混ざり合う場としての行き場と拠り所を残していきたい。他団体とゆるやかに協働して地域にしっかり根ざすことで、新住人たちをまちの住人として、暮らしやすい、目の届く社会関係をつくる。紙芝居以外の仕事、作業、コミュニケーションの場をつくっていきたい。

□ 弱さのちから
 むすびの公演には独特のおもしろさと切なさがある。それは、人を惹きつける見えないちからとなっているように思える。そのちからは、「老」「病」「死」「障がい」「貧しさ」など社会から見えなくされ、排除されてきた一人ひとりのメンバーが、弱さによるつながりという互いの存在への肯定をむすびの活動を通してつくりだしてきた文化といえるかもしれない。