日 時  2020年9月1日(火)
会 場  望之門保育園 19:15~  
参加者  6施設・団体8名
2か月振りの定例会であり事例を中心に話をした。

トークテーマ事例①
障がいがある方とその父母の同居に関する事例

父母の高齢化(90歳以上)に伴い施設入所した障がいがある方がいる。父母の居住区域と入所施設が離れているため、A市の施設に入所しているその方を、父母が居住しているB市内、居住地の近隣にある施設に入所できないか?という願いを持ち動き回る高齢の父。 
入所施設に問い合わせたり、見学に行ったりする父を心配する親戚の方々。
実際には、B市の近隣施設に空きはない状態。基幹相談支援センターに相談しはじめた。A市とB市は距離が遠く行き来がしにくい、高齢化に加えてコロナの影響によりさらに行き来がしにくくなっている。電話などでの親子のやりとりはある。母は介護度が高く意思疎通も困難な状況にある。
※詳細については不記載。

・そもそも何が問題点なのか?
・父の願いをかなえるのか?
・父の行動を調整することなのか?
・相談センターに任せることによって、父の動きを軽減できればという考えなのか?
・父が動き回ることができるのであればそれはそれでいいのか?
・当人の思いはどうなのか?
・当事者は父でありその子であるのか?
・憶測、推測だけですすめてしまう危険性があるのではないか?
・情報の整理、事実の整理から始めることがいるのではないか?
などの意見がでた。

●感想 
 一見すると困っているようには見えないことに取り組むことは、その人が力を発揮する機会を奪うことになっているのかもしれない。その人が力を発揮するというのは自己責任と近いようで異なる部分でもある。できるのに、していないという支援者側のアセスメントの問題だとか、過剰な支援を提供しているというモニタリングの問題だとかにもなる。結局は制度として税や公費を使用するということになると使途が適正かどうかということが重視される。適正か適正でないかということは、財源や公的制度を考えないのであれば、どの段階、どういう状況で関わるかは当事者の合意だけでよい。これは私的な関係性や、家族内で行われてきた関わりといえるかもしれない。私的な関係・家族内の関係をどのように社会化・地域化するのかということでもある。制度が多くなり、資源も増えてきた、今、関わりを組み立てるということも必要になってきているといえる。

トークテーマ事例②
 しんどい状況にいる人が増えているように言われる。しんどい状況を支えることも重要であるが、しんどい状況になる前になんとかできないかということも大切なのではないか。ということで狭間の、状況でしんどい状況の話

〇相談した結果
 家族で何ともできないから、相談したが、制度がないので家族で何とかしてくださいとなった。たまたま、福祉領域の知識をもっていたのでそれはおかしいのでは?と再度相談することができた。

〇ゼネラルソーシャルワーカーの必要性
 相談してもストレートにつながらない、紆余曲折して結果、制度がないので自力でとなる。ところが、制度を詳細に知っている人と出会うと支援を受けることができたりもする。

〇知識の有無や理解の状況について
 身内の要介護者がいる時に、ケアマネージャーがやってきた。
ご家族の意向を聴くケアマネージャーもいれば、支援をうける本人の意向を聴くケアマネージャーもいる。どちらが良いのか、どちらを選ぶか・・・その選択権は誰にあるのか?そもそもケアマネージャーを交代してもらえるなんてことすら、知らない場合もある。

〇申請主義とおせっかい
 申請主義はよくいわれるが、申請していないのに他者から介入をうけることは、侵害といえる。おせっかいは支援する側からの話である。関わる前に必要なことは丁寧な対話となる。

〇境目にあることをどうするか
 障がい福祉サービスや介護保険サービス、医療保険などの境界線の問題は多くある。困っているということを発信できるかどうか、発信することは厄介者になるのではないかという思いや、助けてほしいということを言う事は、それぞれの個人の状況によることであって、絶対的な基準はないはずだが、制度としては基準を設けなければならない。その結果として、あらたな境目が生まれる。

〇予防
 あらかじめ、ある状況にならないようにするということは、ある状況を否定することであって、ある状況にある人を否定することにもつながるということを認識しておかないといけないのではないか。ある状況というのが社会の中で少数しか表れない場合には特に注意をしないといけないのではないか。歴史的にみても予防の裏には侵害がある。

●まとめ
今回の定例会はグループ討議を中心におこなった。雑駁とした話ではあったが、それぞれのフィールドからの話であるため、日常の支援や自分の価値観を点検する機会になったのではないだろうか。