●第81回 2019.11.15(金)報告

テーマ 更年期ゲイが皆様と腹を割って語りあうコミュニケーションタイム
「ゲイであるわたしの、恋愛、HIV,人生、仕事」
~~この際だから語り合おう。なんでも聞いてちょうだい~~

話題提供 梅田 政宏さん(株式会社にじいろ家族)
 当事者の協力者さんさまざまなセクシュアリティの人やセックスワーカーなどが集まる学会で梅田さんとAさんは出会う。一般論ではなく、自分の経験として語り、対話を通して学び合いたい。

□ JGBTQとは
 私たちには多様なセクシュアリティが存在する。L G B Tの存在は知られるようになってきたけれども、そこに属さない人たちもいる。その人たちをクィアと呼ぶ。クィア(Queer)とは、もとは「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は、性的少数者全体を包括する用語として肯定的な意味で使われている。

□ 多様な性の存在とその垣根
 セクシュアルアイデンティティとは、「性的自認」。セクシャルオリエンテーションとは、「性的指向」。ジェンダーとは、「社会的、文化的に割り当てられた性」などの言葉が社会で知られるようになってきた。それには、自分の性に関するポリシーを少しずつ表明することができるようになり始めてきた社会背景がある。しかし、その本来の個性がどこまで理解されているかということに関しては疑問がある。
 パラフィリアやフェティシズムという言葉がある。これを知ると、さらに人間の性を明確に分けることはできないことがわかる。パラフィリアとは性嗜好に偏りがある状態である。D S M−5(米国精神医学会)で性嗜好が一般的でないものを総称して「paraphilia」と呼び、さらにその中では精神医学関与必要とするものを「paraphilic disorder」と呼ぶ。
 ファンタジーであればどのような性の対象もアリではないか、という話題に関連して、以下の内容が確認された。
 子どもに対する性暴力は「小児性愛者」の名、子どもを愛好するパラフィリア(性嗜好)の文脈で扱うのではなく、「小児性虐待」者と捉えなければならない。それは、対等ではない弱者を性の対象にする暴力にとどまらない。発達途上の人格的境界を傷つけ、順応させる。その支配によって、性虐待者は自己の力が増したように効力感を得る。そのため、習慣的に子どもを利用するものと認識しておきたい。

□ H I V≠A I D
 SHIVとは、Human(ヒト)Immunodeficiency(免疫不全)Virus(ウイルス)のことで、ヒトの体を細菌やウイルスなどの病原体から守る(免疫)のに重要な細胞である、Tリンパ球やマクロファージ(CD4陽性細胞)などに感染するウイルスである。
 A I D Sとは、HIVがTリンパ球やマクロファージ(CD4陽性細胞)などに感染した結果、これらの細胞の中でHIVが増殖する状態。このため、免疫に大切なこれらの細胞が徐々に減っていき、普段は感染しない病原体にも感染しやすくなり、さまざまな病気を発症する。この病気の状態をAIDS(AIDS:Acquired Immuno-DeficiencySyndrome、後天性免疫不全症候群)という。代表的な23の疾患が決められており、これらを発症した時点でAIDSと診断される。
 現在、AIDSの治療薬ができ不治の病ではなくなった。その薬のおかげで完治はしないけれど、ほぼ感染していない人と同じような生活ができるようになった。

□ AIDSに関わった人
 ロナルド・レーガン(1981~1989米国大統領)は、1981年に症例報告された AIDSに関して多くの医療者から警告されていたのに「AIDSは道徳の問題であり、自己責任である」として対策を講じなかった結果、約10年で爆発的に感染者が増加し社会問題を生み出した。また彼は、同性愛も認めていない。
 ハドソン・ロック(1985年AIDSで死亡)という俳優がAIDSを発症したことをきっかけに、エリザベス・テイラー(H I VやAIDS基金を創設)の進言もあり、レーガンが認めざるを得なくなった歴史がある。もし、レーガンが政府としての対応を先延ばしにしなければH I VやAIDSに関する状況も変わっていたかもしれない。

□ 日本で起きたAIDS関連の事件
 世界では「ホモだけがかかる癌」という嘲笑的な報道がなされた。日本で起きた代表的なAIDS関連の事件は、松本、神戸、高知の3事件がある。
 1986年11月3日の松本事件は、フィリピン人女性のHIV感染が判明し、公衆浴場が外国人の利用を拒否するなどの過剰に反応が日本中で起きた。1987年1月17日の神戸事件では、AIDSで亡くなった日本人女性の遺影を週刊誌が盗撮して、「これがAIDS患者だ!」と掲載。そして、「この女性と関係があった人は検査に行こう」などと呼びかけ、セックスワークをしていたとも報道した。しかしこれは事実無根で、出版社が敗訴している。 その直後2月に起きた高知事件では、血友病患者の配偶者の女性がHIV陽性で出産することへの是非を巡り騒動が起きた。これらの事件は、HIV感染に対するスティグマを増強させた。

□ 薬害AIDS事件
 血友病(止血に必要な凝固因子:第8因子と第9因子が不足)患者に出血した場合の治療として用いられるのが血液製剤である。1970年代末には、アメリカから輸入された非加熱製剤コンコエイトを使用した。この中にHIVが混入していた。80年代前半になっても危険な非加熱製剤は、ただちに回収されることなく使用され続けた。
 明石氏などの訴訟団の活動が社会の関心を呼び「薬害AIDS事件」は社会問題に発展し、裁判所も揺り動かし、1996年3月に被告が責任を全面的に認め和解が成立。薬害訴訟において、「血友病者はこれまで差別されてきた」「だから、感染経路で差別しない」と掲げた原告らの影響を受け、経路を問わず、AIDS患者は身体障がい者として医療扶助を受けられることとなった。
 だが、その後も、AIDSへの偏見と差別はなくなることなく、特に薬害AIDS以外の患者に対する差別は厳しい。

□ 社会による抹殺
 H I V検査をするのは勇気がいる。最近では即日で結果が分かるが、当時は1週間程度かかった。この1週間は、死の宣告を受けるような気持ちである。肉体的な死は怖くない。私たちが恐れたのは「社会的抹殺」である。自分一人のことならまだいいが、「あなたの家の長男は、ホモで変態でAIDS」などと血縁者や地域へ波及してしまうことを恐れていた。青木先生が語られたハンセン病の患者の痛みにシンパシーを感じる。

□ 不適応と排除 ―生きること
 AIDS患者は、薬害による「被害者的AIDS:いいAIDS」と、性感染症による「自己責任的AIDS:悪いAIDS」というように2つに分けられ、厳しい差別が存在している。
 また、部落差別、宗教差別、人種差別などの被差別者がいるが、彼らは概ね血縁の中では同胞であることが多いけれど、われわれは違う。突然、自分だけが社会や家族の中で、変態、ホモ、AIDSというようにステレオタイプで見られる存在として生まれたことを知る。私の場合は、13歳だった。そこで追い討ちをかけるのは学校で習う保健体育である。その内容はいまだ改訂されず、思春期には異性に対して恋心を持つという指導がある。私たちは、ちょうど同じ時期に自分のセクシュアリティを自覚して、第1回目の絶望を味わう。そして、高校生くらいになるとゲイだと自覚した。血縁に同じ属性の人がいると相談できたかもしれないが、それはまずない。親きょうだい、教師など誰にも相談ができず、私たちは全員孤立する。そこでH I Vをもつことはどれだけしんどいことかを理解してほしい。ロールモデル、先輩などと出会えていればどれだけ助かったか。今はインターネットがあるが、当時は、雑誌(薔薇族など)などの紙媒体でしか情報を得られないし、それを購入することも難しかった。孤立の中で我々は自問自答しながら生きるしかなかった。
 ニュースでよくいわれる9月1日問題(子どもの自死の問題)がある。ゲイの属性を持つ私たちは、「この子たち、実はゲイだったのかな」と感じることが多い。なかなか属性を話すことができず学校で言えないし馴染むことができない。社会に出ても適応することが難しい。

□ 私がなぜ釜ヶ崎にコミットするのか
 私が釜ヶ崎に生きる見えない仲間にアウトリーチするのは、地方都市などで自身の属性を隠し通さなくてはならない環境から地縁血縁を絶つことで釜ヶ崎に流れ着いた仲間が数多くいるから。アメリカなどではホームレスの40%が自身の属性をLGBTであるという自覚を持っている等というデータもあり、特にホームレスユースの若者については50%近くがLGBTであるという自覚を持つものがいるというデータもある。この忌まわしいとさえ思った属性は、生きながらえながらにして社会から自身を殺してしまい、見えなくなしてしまうと考えている。私も若いころは、すぐ近くにいるかも知れない仲間と手をつなぐことが出来ればどれほど素晴らしいか。でも子の手をつなぐ行為がカミングアウトを必然的に伴うため、我々は見えずして背中合わせで地域でひっそり生きていいる。パートナーがいればなおさらである。
 話せば長くなりますが、このようなこともあるということを知っていただくといいかもしれません。