●第84回 2020.3.11(水)報告

テーマ トラウマインフォームドケア
     〜問題行動を捉えなおす援助の視点〜

話題提供 野坂祐子さん(大阪大学大学院人間科学研究科准教授 臨床心理士)

□ トラウマインフォームドケアとは
 トラウマインフォームドケアとは、トラウマを治療するということではなく、トラウマを負った人はどんなふうに感じやすくなるのかという知識を持ち、対象者と支援者が安心できるやり方でかかわることである。そうした見方は「トラウマのメガネをかける」と表現される。支援者からみて“よくない”と感じたときも、すぐに「やめなさい」と制止するまえに、まずは「トラウマのメガネ」を用いて「なにが起きているのか」を理解しようとすることが大切である。
 トラウマを経験した人の感じ方を知ることで、「この人にとって暴力にさらされることは馴染みのある環境や体験だが、逆に、だれかに大切にされるとかえって不安になってしまうのかも」といった理解が生まれる。
 また、そのメガネを本人に渡して一緒に見ていく姿勢も求められる。それによって、自分ではうまく整理できていない気持ちに対して「本当は寂しかったんだ」というように感情に名前をつけ、自分自身に対する眼差しを変化させることができる。

□ トラウマのメガネで見る
 トラウマとは、安全が失われる体験である。身を守るために必死に闘わなければならず、緊張感が張りつめた過覚醒状態になる。実際の危険性が過ぎ去っても、過覚醒状態は続く。そのため、ちょっとした刺激でも「危険だ」と思い、興奮して暴れたり、相手に噛みついたりする。本人にとっては、身を守るための反射的な行動であるが、周囲からみれば「突然キレる」ような危険な行為である。
 支援者は、本人と周囲の子どもたちの両方にかかわらなければならない。これはとても大変なことである。とくに、施設や学校といった集団を扱う支援者は、危険な行為を「とにかく早くやめさせなければ」と思い、「またあの子か! いつもああなんだから」とうんざりしたり、一生懸命かかわっているのに報われないと感じたりする。もちろん、安全のためには危険な行為を止めなければならない。でも、「どうしたの?」と子どもに訊ねることなく怒鳴って制止するだけでは、子どもはますます安全を感じられなくなり、過覚醒が強まっていく。さらに興奮しやすくなった子どもは周囲からも「悪い子」「衝動性の強い子」と見られるようになり、小学生くらいになると発達障がいが疑われたりする。そういうとき、「どうしてこの子は保育園や小学校でこんなにピリピリしているのだろう」ということをトラウマのメガネを通して見てみると、見え方が違ってくる。多くの場合、攻撃的にみえる子どもは、家庭では身を縮めて過ごしている。家の中には絶えず緊張感があり、いつ怒鳴り声やモノの壊れる音がするかわからない。ふいにお母さんが出ていってしまうかもしれないという不安もある。こうした家庭環境のなかで、子どもはずっと緊張しながら過ごしている。子どもが外で口にしている暴言は、お父さんとそっくりな口調であるかもしれないし、外でいじめられている子どもは、お母さんと同じようにビクビクしながら日々をしのいでいるのかもしれない。

□ 逆境下に育つ
 子どもが安全を感じられない環境を逆境(adversity)という。逆境下に育つ子どもは、家でトラブルが起きると、ひとり静かに「早く終わりますように」と念じている。そのとき、子どもたちが思っているのは「自分が悪いからこんなことが起きたんだ」ということ。DVや虐待をふるうおとなも「お前が悪いからだ」「お前のために言っているんだ」と、自分の暴力を子どものせいにしている。子どもの発達の特徴として自己中心的な認知がある。これは「自己中」という意味ではなく、自分の見たまま、聞いたままを事実とみなし、自分を中心にして世界を捉えるという子ども特有の認識のことである。子どもは、実際には関係ないことであっても「自分のせいでこうなってしまった」と考えやすい。だれでも幼い頃、なにか悪いことが起きたときに「自分があんなことをしたからバチがあたったんだ」と思った経験があるだろう。世の中で起きたことと自分を結びつけて考え、自分を責める認知をしやすい。
 すでに述べたように、おとなは子どもをだしに使って暴力を正当化する。そのため、なおさら子どもは「自分が悪い」という信念を強めてしまう。
 また、幼い子どもは自分がテレビのヒーローのようになれると思っている。家庭内で暴力が起きたとき、「自分もヒーローみたいにお母さんを助けられるはず」と信じている。でも、あたりまえだが、子どもがおとなの暴力を止めることなんてできない。自分が母親を守れなかったと感じた子どもは、強く自分を責めてしまう。これは実際に暴力を受ける以上につらいことかもしれない。そのため、暴力にさらされて育った子どもやおとなは「感じない、考えない」という対処法を身につけていく。感じるとつらいだけだし、考えてもしかたがないという状況に置かれているからだ。

□トラウマを受けた子どもはどのように感じるのか
 人は怖い経験をすると、なるべく感じないようにして、痛みやつらさを麻痺させる。自然にそうなってしまう。一時的な苦痛は、こうした対処法でしのぐことができる。でも、これが毎日のことだと、子どもは一生懸命感じない、考えないようにして、ファンタジーの世界で生きていくしかなくなっていく。目の前で起きたことは「だれにも言ってはいけない、なかったことにするしかない」という思考に追いやられる。
 だれでも、周りの事態が変わらないときは自分の考えを変えようとするものだ。「たいしたことない、よくあることだ」と思い込むことで対処しようとする。このような状態が続くと、自分の気持ちが感じられなくなり、なんとかできるという自信や希望が失われていく。だれかに相談するなんて選択肢はなくなってしまう。
 嫌なことを嫌だと感じられず、つらいことをつらいと思えなくなっていくのが、まさにトラウマの影響である。そのため、虐待やいじめについて「嫌なことがあったら言ってね」ではなく「〜をされたら言ってね」と具体的に伝える必要がある。とくに、性被害は「プライベートパーツを触る人や見る人がいたら、相手がだれであってもおとなに知らせてね」とはっきり言っておかなければならない。子どもに性暴力をふるう加害者は、必ずしも子どもを怖がらせたり、痛いと感じさせたりするわけではない。子どもの興味や好奇心を悪用し、子どもをうまく手なずけるというグルーミングという手段を用いるため、子どもは性被害を受けたことにすら気づけなかったり、周囲に打ち明けられなくなったりする。そのため虐待は長期にわたり、本人はますます混乱し、助けを求めようとも思えなくなってしまう。
 こうしたトラウマを受けた子どもの感じ方を知っておくと、予防教育の仕方も変わってくる。

□ もう喜ぶものか
 子どもにかかわる支援者は、子どものよいところを見つけ、ポジティブにかかわろうとする。褒められることで子どもは自信をつけ、自己肯定感が高まるものだと考える。しかし、褒めれば褒めるほどふてくされるといったネガティブな反応を示す子どもがいる。「どうして?」と訊いてみると、「だって、おとなの言うことは嘘ばっかり。うかうか喜んで痛い目を見るのはもう嫌だ」と言う。こうした子どもたちは、おとなに裏切られ続けてきたのである。
 虐待をする親は、四六時中、子どもに暴力をふるっているわけではない。機嫌がいいときは、むしろ子どもを溺愛し、「ユニバに連れていってあげる」などと豪語する。子どもは親の言葉を信じてワクワクしながら当日を迎えるが、親は起きてこない。「うるさいな、こっちは疲れているんだから! なんなの、ホント邪魔」と子どもは邪険にされ、まるで子どもがわがままを言っているような話にすり替わっている。
 こうしたやりとりが繰り返されると、子どもはだれかに褒められて嬉しくなったとき、とっさに心にストップをかける。「嘘でしょ」「きっと裏があるに違いない」と考えるからだ。期待を裏切られるだけでなく、褒められたあとに性暴力をふるわれたというように、褒め言葉が身の危険につながることも少なくない。

□ 「安心=安全」ではない ―トラウマの再演―
 褒められたあと、もれなく虐待を受けるという典型例が性暴力被害だ。SNSなどで褒め言葉をたくさん書かれて誘い出され、結局、性的に搾取される。こうした経験を重ねると、子どもにとって「褒め言葉」は、性被害を思い出させる引き金(トリガー)になる。褒められてふてくされるのは、嫌な体験を思い出して不安になっているのかもしれない。
 あるいは、周囲に期待されると「自分はとてもそんな期待に応えられない、申し訳ない」と感じる子どももいる。だから、期待されたり、励まされたりすると「自分には無理です、できません。私、バカなんです」と自分の価値を下げるようなことを言ったり、やったりする。その根底には、子どもの自己否定感、無力感がある。褒めると怒り出す子どもは「自分のことをわかっていない」と言いたいのかもしれない。
 支援者は、その子のいいところを見つけて、暴力を使わない方法でかかわろうとする。それは子どもの安全を守るものだが、それがすぐに子どもの安心につながるわけではない。支援者が最善の対応をしても、子どもからするとそんなふうに大切に扱われる体験には慣れていないし、自分にはそぐわないと思っている。だから、「違うの、先生。私は大事に扱われるような子じゃないの」と考え、不安をつのらせていく。一方、「お前、バカだな」と殴るような男性と出会うと「本当の自分をわかってくれるのは、この人」と思ってしまう。こうして暴力的な関係性が繰り返されていくことをトラウマの再演という。
 トラウマや逆境のなかで育った子どもは、自分が大事にされることに慣れておらず、安全な環境や関係性に居心地の悪さを覚える。それよりも、裏切ったり傷つけ合ったりするような関係性のほうが「信じられる」と感じやすい。穏やかな関係性では「物足りない」ように感じたりする。外からみたら「そんな危険な関係性から早く離れなさい」と思えるし、客観的には正しい判断ではあるのだが、本人の感覚とは違うことを理解しなければならない。
 子どもと支援者の間の感覚や視点のズレは必ず起こる。「どうして?」と思うような行動や状態について、トラウマのメガネで見ながら「この子はこんなふうに感じているのか」と理解していく。支援者の考えを押しつけないことが大切である。

□ 支援者へのトラウマの影響
 トラウマを負った子どもとのかかわりでは、怒ってもダメだし、褒めてもうまくいかない。そうなると、支援者はどうしたらいいかわからなくなり、「自分はダメだ、この仕事に向いていない」と思うようになる。こうした支援者の気持ちは、実は子どもの心情とそっくり同じものである。虐待をする親の気持ちとも重なるかもしれない。トラウマを負った人たちとかかわるなかで、支援者も相手と同じような感じ方や考え方になっていく。同僚からも自分がこの仕事に向いていないと思われているのではないかという不安に苛まれ、だれにも相談できない状態になってしまう。
 トラウマインフォームドケアは、被害者のケアに限らない。加害者や支援者の心情や行動を理解するうえでも、トラウマのメガネは有用である。従来、加害者の矯正教育と被害者支援の領域は分かれていたが、実は、どんな人にも加害性と被害性の両方の側面がある。さらに、支援者もトラウマの影響から逃れられない。支援者もまた当事者であり、高みの見物をするような立場で支援はできない。だれもが「自分の状態を理解する」のがトラウマインフォームドケアの強みである。

□ トラウマは氷山の一角のようなもの
 トラウマとは、外から見えるものではない。トラウマの影響は症状や問題行動として表れるが、外から見える部分はその人が抱えている苦痛の「氷山の一角」にすぎない。
 それまで「キレやすくて乱暴な子」「周囲を怖がらせる子」と捉えられていた問題行動の水面下にある部分をトラウマのメガネで見てみると、乱暴な子ではなくて「乱暴をされてきた子」と気づけるかもしれない。つらい思いをだれにも聴いてもらえず、自分の気持ちをごまかしながら生きてきた子どもは、相手の気持ちを理解するどころか、そもそも自分の気持ちがわかっていない。こうした子どもには「人の気持ちを考えなさい」という指導をする前に、「あなた自身の気持ちをわかるようになることがとても大事なんだよ」と伝えて、一緒に気持ちを探していくかかわりが求められる。
 支援者はよく「どんな気持ち?」と訊ねるが、自分の気持ちがわからない子どもは少なくない。モヤモヤした気持ちはなんなのか、子どもと一緒に考えていく必要がある。日常生活のなかで、「そんなときには、こんな気持ちになるかもしれないね」「私だったら、こう感じるなぁ」といったやりとりを重ねていくことが役に立つ。

□ トラウマのメガネで見える化する
 トラウマインフォームドケアは、専門家が行うものではなくて、本人を含む周囲のあらゆる人がトラウマのメガネを通して状態を理解するものである。例えば、風邪の症状はだれでも知っているだろう。内科医でもないのに、本人も周囲も「不調の原因は風邪のせいかも」と気づき、病院に行く前に家庭で養生することができる。幼い子どもからおとなまで、だれもが風邪の一般的な症状と予防法、こじらさないための対処法を知っている。これが公衆衛生である。同じように、トラウマの一般的な症状と基本的な対処法も周知される必要がある。
 トラウマについて子どもに教えると、子どもが怖がるのではないかという誤解がある。トラウマを言い訳にして、やるべきことをやらなくなるのではないかと懸念する人もいる。しかし、インフルエンザが流行する時期に、子どもが怖がるからインフルエンザのことを教えないなんてことはしない。病気は怖いものだが「こうしたら大丈夫」とうがいや手洗いといった予防法を教えて、「熱が出たら学校は休もう」と対処すれば、子どもの健康は守られ、安心して回復できる。同様に、トラウマについてもおとなが怖がらずに「こんなときには言ってね。守ってあげるからね」と伝えることで、子どもの安全と安心が高まる。もし、トラウマを言い訳にしているようにみえたら、本当はなにが言いたいのかよく聴けばよい。「お腹が痛い」と登校を渋る子どもがいたら、「仮病でしょ」と叱責するのではなく「学校に行きたくない理由があるのかな?」と考えるだろう。言い訳をさせないことが大事なのではなく、言い分をよく聴くことが大切である。

□ 逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experiences : ACEs)
 トラウマはめったに起こらないものというイメージが持たれやすいが、実際には、災害や事故をはじめ、日常の家庭生活の中でもトラウマになりうるできごとはよく起きている。なかでも、家庭でのトラウマや家族が安全に過ごせない状況は逆境体験として理解する必要がある。具体的には、18歳までの心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、DVの目撃、家族の精神疾患、家族の薬物使用、家族の収監、片親・両親の不在、身体的ネグレクト、情緒的ネグレクトといった被害を逆境的小児期体験といい、頭文字をとってACEs(エースあるいはエーシーズ)と呼ばれる。さまざまな種類のACEsを重ねるほど、生涯にわたり心身の健康に悪影響が生じる。

□ ネグレクトとは
 ネグレクトとは、日本では世話をしないという意味で理解されているが、情緒的ネグレクトや社会的ネグレクトといって、子どもの思いや能力、発達を無視した指導や教育も含まれる。日本でも最近、教育虐待という言葉が使われたりするが、子どものために時間もお金も関心もかけているものの、子どもはしんどいと感じている体験をさす。「なにもしない」というネグレクトのイメージとは異なり、「やりすぎる」ことによる悪影響である。親としては子どものためにいろいろとやっており、きちんとした家庭にみえるので、学校や児童相談所では指摘しにくい。でも、子ども自身のニーズや思い、能力などを無視(ネグレクト)しており、子どもにとってはつらいものだ。子どもの自信が失われ、意思や自己決定力が育たない。それが子どもの生きにくさにつながる。

□ ACEsと発達への影響
 アメリカや日本の調査で、上述したACEs項目のうち1種類の逆境体験であれば6-7割くらいの人が経験しているという結果が示されている。ACEs項目が4つ以上あてはまると、さまざまな健康上のリスクが高まる。メンタルヘルスだけではなく、脳や心臓、感染症や呼吸器などいろいろな疾患のリスクが上昇する。
 また、働けないとか刑務所に収監されるなど、社会適応が難しくなる。さらに、ACEsが7つ以上あると、ない人に比べて寿命が約20年も短くなる。短命であることもトラウマや逆境の深刻な影響である。
 18歳までの経験が、なぜ生涯にわたって影響を及ぼすのか。逆境下で育つと過覚醒状態になり、周囲の危険ばかり察知しようとして脳や神経が正常に発達しない。通常、人は3歳までに感情を司る右脳が発達する。あかちゃんは泣いて不快を訴え、ケアを受けることで快の経験を積む。2、3歳になれば、人とのやりとりが増え、感情がどんどん発達する。その後、思考を司る左脳とつながり、感情と思考がバランスよく発達している。しかし、3歳までに逆境下で不快な刺激にばかり反応していると、感情が豊かに分化していくという発達が妨げられ、そこの段階で発達が止まってしまう。
 本来、小学5、6年生になれば論理的思考ができるはずだが、「ムカつく」といった不快な感情をコントロールできず、「考えてごらん」という投げかけに対しても、「嫌だ」という感情だけで反応する子どもがいる。おとなや社会の価値観を問い直す反抗期という年齢相応の発達とは異なり、不快さをコントロールできず、感情を爆発させるという未熟な精神状態といえる。
 感情は、ケアを受けて快の体験を積み重ねることによって育まれる。あかちゃんのオムツを変えるとき、おとなは「気持ち悪かったね」「すっきりしたね、よかったね」などと語りかけ、ケアをしながら感情に名前をつけていく。あかちゃんはケアを受けることで不快さがなくなるという体験をしながら、感情の名前や調整の方法、そして人との関係の持ち方を学ぶ。
 しかし、逆境下で過覚醒状態のまま育つと「強いか弱いか」「やるかやられるか」といったトラウマティックな関係性が学習される。これを社会的学習といい、暴力的な生き方や人に頼れない生き方につながっていく。

□ 心のケガ
 トラウマとは、心的外傷のことであり「心のケガ」と表現される。日本では、阪神淡路大震災によってトラウマという言葉が知られるようになったので、トラウマは怖い体験や命の危険をさすものと思われている。しかし、裏切りや安心できないことも心のケガになりうる。
 虐待のように、本来安全なはずの関係性のなかで起こる暴力は、身体的な外傷をもたらすだけでなく、いつなにが起こるかわからないという見通しのきかなさ、心が踏みにじられるような裏切りを重ねる体験である。ストレス自体は日々どこにでもあり、適度なストレスはよい刺激にもなる。そして、それを乗り越える体験が成長につながる。しかし、トラウマというストレスは、通常の方法では対処できないものであり、成長や発達を阻害するものとなる。

□ 子どものトラウマ反応(乳幼児期)
 トラウマによる影響をトラウマ反応という。子どもの年齢によって、トラウマ反応の表れ方は異なる。
 乳幼児期の場合、次のような特徴が挙げられる。
・トラウマの影響は胎児期から生じる。母親のストレスや物質の使用が胎内に影響を及ぼす。
・あかちゃんは周囲の環境に影響を受ける。そのときに守られたかどうかが大きく影響する。
・身体症状や行動上の問題として表われる。
・不安や恐怖が分離不安として表われる。
・退行という形で表れやすい。
 こうしたトラウマの影響は、逆境下から保護されて安全な場にきてから生じることが少なくない。子どもの状態が悪化したようにみえるので、支援者は自分たちの対応が悪かったのかと思いがちだが、安心して症状が出せるようになったと考えられる。むしろ、ずっと「いい子」で我慢している状態のほうが心配である。

□ 子どものトラウマ反応(児童期)
・テレビや漫画の主人公のようにカッコよくふるまえないことに罪悪感を覚える。
・トラウマを連想させるきっかけ(リマインダー)に反応しやすい。
・復讐的、攻撃的な行動化が目立つ。
・睡眠障害、集中・注意力欠如などの影響で、学校に馴染めなかったり、自信低下につながったりする。
・常に身の回りを警戒していて、学習に支障が出る。
・恐怖心を思い出しやすく、以前楽しめていたことも避けるようになる。
 子どもは自分のせいでトラウマとなるできごとが起きたという自責感をいだきやすい。また、年齢が上がるにつれ、周囲と自分を比べるようになり、自分だけがおかしいことに不安を覚えて症状を隠すようになる。この時期に「大丈夫?」と訊ねても、子どもの本当の気持ちを聴くのは難しい。幼いうちに、不調や問題行動として表出された症状を見逃さず、子どものサインと捉えてケアをしていきたいものである。
 幼少期におとなの安全なスキンシップによって安心した経験があると、成長してからも自分で自分をなだめることができる。しかし、そうした経験がなければ、タバコやアルコール、薬物といった物質に頼らざるを得ない。人は裏切るものだから物質のほうがあてになるし、すぐに気分を変えてくれる即効性もある。思春期になると、リストカットや物質依存など、自傷行為や物質で気持ちをなだめようとする。「やめなさい」と禁じるのではなく、それがどんなふうに子どもの助けになっているのか訊いてみるとよい。自傷行為をすることでようやく生きていられる、という子どもも少なくない。

□ 子どものトラウマ反応(青年期)
・自分の行動が事態を悪くしたと考え、自責感をいだく。
・「自分はおかしくなった」「自分は弱い」「他の人とは違う」と考えて、症状を隠しがたる。
・トラウマティックな関係性を再演する。
・アルコールや薬物でトラウマ症状をやわらげようとする。
・夜遅くまで勉強したり、テレビやゲーム、夜遊びにふけっていたりする原因に不眠症状がある。
 思春期を過ぎると、自分のつらさを口にしなくなっていく。語ろうとしても言葉にできないこともある。夜遊びなどの行動の背景には、本人も気づいていない睡眠障害があることが多い。また、トラウマ症状をやわらげるために、アルコールや薬物、危険な性行動をとっていることもある。本人は過去のトラウマと現在の行動のつながりを理解できているわけではない。周囲から「だらしない」「どうしてそんなことばかりするの」と非難され、本人も「自分がだらしないから」と思っている。しかし、トラウマ症状は意思の強さや反省によって改善するものではない。

□ 身近なおとなのトラウマ反応
 周囲のおとなが子どものトラウマ症状を問題行動と捉え、本人を信じたり、理解できなかったりするのは、おとなのトラウマ反応といえる。例えば、父親から娘への性的虐待が起きたとき、母親が娘を守れず「娘のほうが父親を誘ったのだ」と非難することがある。母親が事実を受け止められず、否認してしまうのは、母親自身のトラウマ反応である。母親もまた幼少期に性的虐待を受け、だれにも助けてもらえなかったとしたら、「そんなことは被害ではない」と矮小化する母親自身の対処法を娘にも押しつけてしまうかもしれない。自分が依存している夫を失う不安に耐えられないこともある。
 支援者はこうした母親を非難してしまいがちだが、トラウマのメガネを用いて「母親になにが起きているのか?」を理解していく姿勢が求められる。母親の行動を理解したからといって、それを許容するわけではない。娘を守れるように母親を支えていく必要がある。「家族の性的虐待はすぐには信じられないもの」「母親として受け入れがたく思うのも当然」という心理教育を行いながら、母親の気持ちをよく聴いていく。「うちの子は心配ない。本人も話したくないと言っているから、放っておいて」と、子どもへのケアを拒否する親も多いが、そのようなときも「今のところ大きな心配はないんですね」と受け止めながら、親のショックを気遣い、こうして(子どもへのケアの提供を断るにせよ)わざわざ足を運んだことをねぎらうと、親自身の抵抗感やつらさを話してくれるものである。「もちろん無理に話す必要はありませんが、お子さんが一人で抱え込んでしまうのではないかと気がかりです」などと支援者の懸念を伝えて、子どもにみられやすいトラウマ反応を説明し、家庭でのかかわりかたを話し合う。すぐに子どものケアができなくても「こういう行動がみられたら来てください」と伝えておくだけで、今後の支援につなげられる。
 子どもの支援においては、身近なおとながトラウマについて理解することが重要である。保護者支援によって、親の考えや接し方がサポーティブなものになれば、子どもの安心感を高められる。

□ アタッチメントスタイル
 親の子育ての仕方は、親自身の育てられ方と関係している。あたりまえのことではあるが、実際には、子育て支援において、どのように親自身の育ちを扱うかは難しいところである。
 子育てがうまくいかない親と出会ったとき、子育ての仕方を変えようとするのではなく、まず、その親自身がどのように育ってきたかに注目する。親が子どもと安定したアタッチメントを築けていない場合、親自身が不安定なアタッチメントスタイルであることが多い。虐待をする親は、アンビバレント(両価的)なアタッチメント、つまり不安定で極端なかかわりをしやすい。そのため、子どもはつねに不安で混乱し、親はますます子どもを「育てにくい」と感じるようになる。
 アタッチメントは乳幼児期に形成され、それが対人関係の雛形となって、おとなのアタッチメントスタイルに影響する。アタッチメントスタイルとは、自分が不安なときにどうやって自分をなだめるかということである。だれかに不安を聴いてもらうなど、人に頼るというアタッチメントスタイルの人もいれば、大変なときほど自分で考えるタイプの人もいる。おとなになっても、困ったときはアタッチメントが活性化する。どうやって安心を得るかは、人によってスタイルの違いがある。
 親は自分のアタッチメントスタイルで子どもにかかわる。「抱っこしたり、子どもに甘えられるのは苦手」という親もいる。回避的なアタッチメントスタイルではあるが、一定のかかわりであり、子どもがほかにも甘えられる対象がいるなら問題ない。子どもが混乱するのは、アンビバレント型のアタッチメントスタイルである。ギューと抱っこしてくれたかと思えば、急に「あっちにいって」と拒否するような予測不可能なやりとりは、子どもを不安にさせる。そのように育てられた子どもは、他者とのかかわりの不安定さを受け継いでしまう。
 親と子どものアタッチメントスタイルを理解しながら、安心できるかかわりかたを工夫していく。このときもトラウマのメガネが役に立つ。

□ きちんとした家庭でも逆境は起こりえる。
 家庭内のトラウマや逆境は外から見えにくいものである。一見「ちゃんとした家庭」でも、家族の機能不全やコントロール(支配)の問題が起きている。例えば、きょうだい間性暴力の典型例の一つが、おとなしく、それまで何一つ問題を起こさずにきた兄が妹に性加害をしていたというケースである。親も学校も「まさか、あの子が」と驚くが、それまで問題なくみえたのは、兄が不満や怒りを適切な方法で表出できず、我慢していただけということもある。両親も「きちんとした人」にみえるが、よく聴くと、つらいことは感じないように我慢しながら、必死にがんばってきたという。実際には、家庭内のほころびはたくさん起きていたのに、それらには目を向けず、夫婦のストレス発散は晩酌のみ。酔って忘れるのが唯一の対処法になっている。家庭内に明らかな暴力はないものの、がんばることに価値が置かれ、弱音を吐くことは許されず、率直に話し合うというモデルがない。それが兄を追い詰め、より弱い相手に対する支配やストレス発散としての性暴力につながっている。
 日本の文化では、頼らないことや弱音を吐かないことは、忍耐強さという美徳と捉えられやすい。しかし、ネガティブな感情を認めないことで、それを弱い者にぶつけるという暴力につながることがある。
 このように親の生き方が子どもに影響し、身近なおとなの関係性が子どものモデルになることで、不適切な関係性が連鎖していく。

□ トラウマの再演:パワーゲーム
 家庭での虐待だけでなく、学校での体罰という暴力もある。なぜ、体罰が起こるのか。暴力を用いた指導などはしておらず、「日頃は教育熱心で、子どもにも好かれていた」と言われるような教員がなぜ体罰をふるってしまうのだろう。
 虐待を受けていた子どもに「暴力をふるうおとなばかりではない」と伝えようと、子どもに親身にかかわっていた教員がいる。しかし、すでに述べたように、子どもにとってそうした教員のかかわりは、うれしい反面、不安に感じられるものである。殴られないのは安全であるものの、子どもはおとなを信じられない。いつ先生が態度を豹変させるかわからないし、親身な態度もどうせ嘘だろうと思っており、先生を試そうとして挑発的な態度ばかりとる。先生も「これは虐待の影響なのだ」と思って冷静に対応しようとするが、度重なる子どもの暴言や反抗に深く傷ついていく。やがて、我慢の限界に達した教員が「さすがにこれは許せない!」とキレた瞬間、子どもは「ほら、やっぱり先生は僕が嫌いなんだ」「おとなって結局そうだよね」と安心する。こんなふうに、暴力を受けて育った子どもは無意識に相手の暴力を引き出そうとする。
 トラウマティックな関係性の再演というのは、こうしたパワフルな力に巻き込まれて起こる。どの支援者にも起こりうることであり、意識していても巻き込まれる。ひとりでなんとかできる問題ではない。

□ 再演は出会ったときから起きている
 児童福祉施設で、職員から入所児童への性的虐待が起こることがある。なかには、それを目的に入職する性犯罪者もいるが、多くは熱心に子どもにかかわる真面目な職員である。最初から子どもを性的対象としてみているわけではない。
 しかし、家庭や地域で性的虐待を受けてきた子どもは「どうせ先生もカラダ目当てなんだよね」と思っている。職員がふつうにかかわっても、「先生もセックスしたいんでしょ、ホテルに行ってもいいよ」とアピールする。性的トラウマを受けた子どもは、こんなふうに人とのかかわりや態度が性的な色合いを帯びやすくなる。これは性化される(sexualized)というトラウマ反応で、幼い子どもの性的な遊びや思春期の子どものアクティブな性行動などで表れる。寂しさや愛されたい気持ちから性的関係を求めたり、自暴自棄な態度で危険な性行動をとったりすることもある。
 つまり、職員に対する性的アピールはトラウマ反応であり、職員と性的な関係になることは性的虐待の再演である。子どもは本当に性的な行為を求めているわけではないし、職員を愛しているとか信用しているわけではない。施設という集団生活で満たされない思いをいだいている子どもは、特別扱いをされる優越感とともに「結局、カラダ目当てなんだ」という絶望も感じている。
 これは職員の性的虐待にほかならないが、「加害-被害」という単純な図式で捉えられるものではなく、トラウマティックな再演として理解すべきである。どの職員も再演に巻き込まれる可能性を前提にして、施設全体で予防策を講じる視点が必要になる。
 再演は、ほんの一瞬のうちに起こるものである。「目が合った」というだけで、相手の視線に敵意を感じて反撃する子どももいる。目が合っただけで、家庭で殴られて育った子どもは「暴力」を再演し、学校でいじめられていた子どもは「従順」を再演する。性的虐待を受けた子どもは「性的関係」を再演しようとする。この力動(ダイナミクス)に巻き込まれないためにも、支援者がチームでかかわっていくことが大切である。

□ 保護者に起きているトラウマの再演
 親もまた、親自身が体験してきたトラウマティックな関係性を再演する。あちこちでトラブルを起こしたり、うまく人とつながれなかったりする親は、信頼関係が築けず、暴力的な関係性を再演している。そこで支援者が「あの親は…」と批判的に捉えるとき、その時点で支援者も「批判する-される」という非対等な関係性の再演に巻き込まれている。支援者はトラウマのメガネをかけて「この親はケアのない人生を生きてきたのかもしれない」と捉える必要がある。
 この社会では、ほとんどの人がトラウマを受けている。しかし、トラウマを受けても、だれかが信じてくれて助けてもらえたなら、人はそこから回復することができる。問題は、トラウマを受けたことではなく、そのあとだれにもケアされなかったということである。そんな経験をしてきた親が「自分だってつらい」「子どもばかりケアされて納得いかない」と感じて子どもをサポートできないのも無理からぬことであろう。

□ トラウマケアの3段階
 このように、さまざまな事象をみるときに「トラウマのメガネ」でみるのがトラウマインフォームドケアである。トラウマを扱うからといって、トラウマ体験を詳細に語らせたり、トラウマ症状の治療をしたりするのではなく、相手の言動を理解して、日常でのかかわりを工夫するというレベルの対応をいう。
 トラウマケアには、トラウマインフォームドケアから専門的なトラウマ治療までいくつかのレベルがある。大きくわけると、次の3段階で整理される。
 ・第1段階「Informed」は、一般的なトラウマの理解と基本的対応をするトラウマインフォームドケアである。すべての人が対象で、トラウマや逆境の理解と生活環境に及ぼす影響について一般知識を持ってかかわることである。
 ・第2段階「Responsive」は、トラウマに対応したケアであり、リスクを抱える人が対象となる。トラウマや逆境の影響を最小限に抑え、健全な成長と発達の機会を最大化するための支援である。これもカウンセリングではなく、生活の中でできるかかわりである。
 ・第3段階「Specific」は、トラウマに特化したケアで、専門家による特定の介入によって人生を統合していくような治療的な支援をさす。

□ トラウマインフォームドケアのポイント
 米国でトラウマインフォームドケアの取組を推めている米国保健福祉省薬物乱用・精神衛生サービス局(SAMHSA, 2014)は、トラウマインフォームドケアを「4つのR」で説明している。
・Realize:まず、トラウマについての知識を持つ。
・Recognize:どのような影響を受けているか認識する。
・Respond:適切な対応をする。それによって、
・Resist re-traumatization:再トラウマを予防する。
 繰り返しになるが、トラウマインフォームドケアは専門家がやるものではなく、本人を含む周囲のあらゆる人がトラウマのメガネを使って言動を理解することである。トラウマの古い記憶を掘り起こすのは危険ではないかと誤解されることがあるが、それは上記の3段階目の「トラウマに特化したケア」であり、専門的なスキルを用いて安全にトラウマ記憶が扱われる。トラウマインフォームドケアは、あくまで現在の行動をトラウマの視点から理解するものであり、だれでもできる安全なアプローチである。それをベースにして、より高次なレベルのケアにつなげていくことができる。

□ トラウマインフォームドケアの実際
 トラウマ体験と症状を把握するアセスメントにおいて、症状(問題)を個人の特性と決めつけず、「なにが起きているのだろう」という視点で見る。そして、子どもや養育にかかわるおとなに症状(問題)とトラウマの関連を説明する。「怖い思いをするとこんなふうになる子が多いんだって。あなたは?」というように、一般的な反応について心理教育をすると自分の状態が理解しやすくなる。そして、適切な対処法について話し合う。つらい気持ち、自分を悩ませる考え、安全ではない行動にはどんなものがあるか、そしてどんなふうに対処していけばよいかを具体的に考えていく。そうしたトラウマ反応を引き起こすリマインダーを探し、自分で調整していけるようになることをめざす。
 どんなトラウマ反応が起きているのかを整理していくときは、ただ「腹がたつんだね」と共感するよりも、「バカにされたと思ったら、そりゃあ腹がたつだろうね」というように、考え(認知)と感情をつなげていく。考えがわかるとより共感的に理解することができる。そのあとで、「本当にバカにされたのかなぁ?」と、その場面をふりかえりながら一緒に考えていく。どんな状況でも気持ちは自分で調整することができる。「ドキドキしたら、ゆっくり呼吸をすれば大丈夫だったね」とふだんから落ち着く方法を思い出し、練習していく。

□ リマインダーの扱い
 子どものトラウマ反応を引き起こすリマインダーがわかると、支援者も「この子はいつもこうだ」という決めつけをせずに、「この子は、こういうときにこうなりやすい」と子どもをより深く理解できるようになる。
 トラウマ反応の引き金になるリマインダーは、客観的には危険なものではない。本当に危険なことを避けるのは症状ではなく健康な反応であり、怖がらなくていいことを怖がっている状態が症状である。
 例えば、性被害を受けた子どもが「性教育を受けたくない」ということがある。性教育が性被害を思い出すリマインダーになっている。「この子は性教育を受けると具合が悪くなるから、授業を受けさせないようにしよう」という対応をする学校がある。本人が欠席したいと言っているなら、それを尊重することも大切だ。でも、ここで思い出さなければならないのは、リマインダーは危険なものではないということである。性教育は危険ではない。むしろ性の安全について学ぶ機会になる。支援者は、この子どもが恐れる必要のないことを恐れていると理解し、どうしたら安心して性教育が受けられるかを子どもと一緒に考えていく。教員や職員がよかれと決めてしまうのではなく、子どもと一緒に考えるほうがよい。子どもが「今回はやめておく」と言えたら、「自分で決めることができたね」と承認する。自分で決めて、少しずつチャレンジすることで、子どもは自信を取り戻していく。呼吸法など落ち着く方法を練習しておくことで、授業での不安に対処できることもある。

□ 「どうなっちゃったんだろう」の不安を軽減する
 トラウマや逆境のなかで育つことで、子どもは「なにが起きているんだろう」「どうして自分が」という混乱や戸惑いを感じる。トラウマインフォームドケアでは、心のケガになりうるできごとについて説明し、子どもに「あなたは悪くない」と伝える。
 暴力は、遊び・しつけ・恋愛ではなく、境界線の侵害である。そして、強要やグルーミング(手なずけ)による暴力から被害者は逃げにくいことも説明する。子どもにとって身近な例を挙げながら境界線破りやルール違反について話し合うとよい。
 心身への影響についても、「体のケガと同じように、心もケガをする」といった比喩を用いて説明するとわかりやすい。ケガをすれば、だれでも不調になったり、うまくできなくなったりするのは当然である。そうした理解が進むと、「自分がおかしいのかも」といった不安はかなり軽減される。そして、体のケガと同じく、適切に手当てをすれば傷は治るというイメージを共有すると、子どもは安心するだろう。
 こうした心理教育は、だれもができるファーストエイド(応急手当)である。リーフレットや絵本、ゲームやクイズ等で、楽しく学ぶのがオススメである。つらさはすぐにはなくならないが、“ふつうに” つらさを話せるようになることが大切である。

□ トラウマインフォームドケアの実践
 「こんなふうになる子が多いんだって。あなたは?」「こうした反応がでるのは、おかしなことではありません」といった心理教育によって、自分だけではないと安心する子どもは多い。とはいえ、心理教育そのものがトラウマ体験のリマインダーになるため、こうした話を支援者がしようとするだけで嫌がったり、逃げ出したりすることがある。その場合も、「こういう話が嫌なのは当然だよね」と心理教育をする。心理教育とは、トラウマやそれによって起こりうる反応を説明することである。支援者は落ち着いて「嫌な気持ちになるんだね」と、子どもに共感を示していく。
 子どもが自分の気持ちをうまく表現できないのも、子どもの育ちから考えれば当然である。「話すとスッキリするよね」というのは健康的に育った人の感覚であって、子どもは気持ちを感じるのが怖いし、話すのもつらい。とくに、トラウマについて語ることは、スッキリどころか苦痛を伴うものだ。思い出すだけで怖いし、話をしても今さらどうにもならないことが多いのも事実である。そうした子どものやりきれなさを理解しながら、話を聴くことが大切である。
 暴れてしまう子どもには、落ち着いているときに「暴れたくなったらどうするか?」を話し合って、「どうやって手助けしたらいい?」と決めておく。避難訓練と同じで、地震や火事の最中に対処法を考えるのではなく、平時に「こうしよう」と決めて、練習しておく必要がある。
 また、他者の境界線を破ってしまったり、自分の境界線が守れない子どもには「境界線を引きなさい」と指導するだけでは難しい。まず、おとなが境界線を守るモデルを示すべきである。子どもの持ち物や体に触れるときはきちんと断りを入れるなど。おとなは無意識のうちに子どもの境界線を破ってしまいやすい。おとなが意識して境界線を守っていくしかない。

□ トラウマの現実に直面する
 トラウマのある子どもや親にかかわる支援者は、話を聴いたり、トラウマ症状を目のあたりにしたりして、間接的にトラウマにさらされている。暴言や暴力など直接的なトラウマを受けることもある。こうした支援者に及ぶ影響を二次的外傷性ストレス(STS)という。
 子どもの凄惨な生い立ちを知るだけでも、相当影響を受けるものである。対人援助のなかでも、子どもへの支援はSTSを受けるリスクが高く、DVの支援はもっともリスクが高いことが研究から明らかにされている。DVは、重層的な加害と被害があり、被害者をケアしてもまた加害者のもとに戻ってしまうことが多く、支援者は報われなさを感じやすい。さらに、常に死の危険についてアセスメントしなければならないという高い専門性も求められる。対人援助職はメンタルヘルスにとって「危険職場」であることを自覚しておく必要がある。

□ 孤立し揺れる支援者
 児童虐待にかかわる支援者の業務はとても過酷で、しばしば「仕事中は気持ちのスイッチをオフにしている」という話を聞く。現場は、感情を麻痺させないとやっていけないほどの状況に置かれている。しかし、「気持ちのスイッチをオフに」するというのは、対人援助職にとって魂を失うようなものである。
 教育や保育の世界では「子どもを悪く言ってはいけない」という価値観もある。トラウマインフォームドケアも、子どもを悪く捉えるのではなく、子どもの行動の背景を理解することをめざしている。しかし、子どもに対する率直な感情に蓋をするという意味ではない。支援者自身のネガティブな感情や負担感を自覚しておかないと、ひとりですべて引き受けようとしたり、無理をしすぎて自分が潰れてしまいかねない。
 支援者自身が無理をすると「何度言ったらわかるの!」と子どもを責めてしまう。人は無力さを感じると、無意識のうちに相手をコントロールして力を取り戻そうとするからだ。「ダメでしょう。こうしなさい」と相手を正そうとしたり、言いなりにさせようとしたりする。ちょっとした行動も許せなくなり、感情的に「なんなの、あの親は!」と腹をたてたり、ときには支援者同士で「あの人さえいなければ」とスケープゴート(標的)にしたりすることもある。

□ 支援者と当事者のパワーゲーム
 こうした支援者の怒りや敵意、他者非難も、トラウマティックな関係性の再演といえる。
 子どもの行動化が激しい施設において、力のある職員、いわば「声の大きい」職員頼みになってしまうことがある。力によって子どもの行動を抑えようとするのだ。そうした力に頼った指導の下では、子どもはますます「先生の目を盗んで悪いことをしてやる」とやっきになり、職員は「見逃すまい」と必死になり、支援者と子どものパワーゲームが起こりやすい。
 そうなると、だれにとっても安全な場ではなくなり、規制するためのルールばかりが増えていく。施設全体が「力の強い人に従っていれば安全」という心理に陥り、まさにDV家庭と同じ状況になる。危機的な状態では、こうした「力のある人に依存する」というコミュニティが作られやすい。そこでは「どっちが上か」ということばかりが重視され、トラウマティックな関係性の再演があちこちで起こる。
 トラウマの影響を受けた子どもたちとかかわると、「私がなんとかしてあげる」という心理も生じやすい。援助職はとくに注意が必要である。熱心な支援者にみえるが、その背景には無力感がある。仕事を抱え込んでしまう人は、だれにも頼れない、だれも助けてくれないと思っている。夫の支えがなく、孤立して育児をしている母親が、子どもに依存し、過干渉になるようなトラウマティックな関係性とも似ている。
 トラウマティックな関係性とは、殴ることだけではなく、こうしたパワーの乱用も含まれる。

□ コンパッション
 トラウマ臨床では、相手のことも自分のことも、トラウマのメガネで見ながら「なにが起きているのか」を理解するのが基本となる。支援者は「自分になにが起きているのか」を認識しなければならない。自分だけでは気づきにくいため、チームでフラットに話せることが大切である。支援者も同僚からどのようにみられているかを気にして、自分の思いや悩みを言えないことがある。周囲の目を意識して、SOSを出せずにがんばっている子どもと同じように。どちらも孤立してしまいやすい。
 「自分はがんばって困難を乗り越えてきた」という真面目なタイプの支援者は、それが強みでもある反面、最大の弱みにもなりうる。支援者が他者に甘えられない、助けを求められない、自分のことよりも他人を優先させるというのは、立派かもしれないが、自分へのコンパッション(思いやり)が足りない。自分よりも他者のためにがんばってきたという人は、他者にも同じことを求めてしまいやすい。しかし、自分へのコンパッション(セルフコンパッション)は、トラウマからの回復に不可欠である。自責感から自己肯定へ。自分を許し、自分を愛すること。支援者のセルフコンパッションは、支援者の燃え尽き(バーンアウト)を防ぐだけではなく、子どもの回復にとってよいモデルになる。がんばることは悪いことではないが、「がんばりすぎる病」から降りる勇気も必要である。

□ トラウマ臨床における並行プロセス
 虐待への介入やトラウマによる過覚醒で暴れる子どもに対応するなかで、組織全体も過覚醒状態になる。職場全体の雰囲気も、とげとげしいものになったり、危機時にもかかわらず淡々としたものになったりする。こうした職場の状態も、組織がトラウマの影響を受けていることを示すサインである。組織全体が、感情的になったり、解離して現実感がなかったりしているのだ。まさに、支援の対象者と同じような反応が支援者や組織にみられるようになる。トラウマの臨床現場で起こりやすい「並行プロセス」と呼ばれる現象である。
 並行プロセスが起きると、組織全体が「どうせできない」「新しいことなんてやっても無駄」という無力感と諦めの雰囲気に包まれる。自分が変わろうとせずに、子どもの行動だけを変えようとする。そうなると、支配されたと感じた子どもは無力感に陥るか、おとなに反抗するようになるだろう。なにより希望が感じられない組織のなかでは、やる気のある職員が次々に離職し、職場の士気(モラール)も低下していく。
 まずは、支援者である私たちが変わることが大切である。ひとりでやるのではなく、チームを作り、組織全体で取り組んでいく必要がある。みんなが安全感を持ち、対話ができるフラットな組織づくりをめざすことで、だれにとっても安心で、回復しやすく、働きやすい場をつくっていくことができるだろう。